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地域の信仰の対象として代々受け継がれてきた仏像。いつの時代でも修理が行われて次の世代へと受け渡されてきました。現代の受け渡す役割を担っているのが、仏像修復師。新潟の工房で修理を続けている松岡誠一さんに仏像の修復について語っていただきます。

(04)「手道具の話」

2019-08-22

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 まだまだ、毎日暑い日が続いています。
 写真は新潟の夏のある日、海に沈む夕焼け。
夕日を見ると季節は確実に秋に近づいているようです。

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 今回は「手道具のはなし」です。

 上の写真は工房の道具かけです。修復にも色々な道具が必要になります。今ではなかなか売っていないような古道具屋で買ってきた道具、建具屋さんからいただいた道具もあります。
 仏像を制作する上でも手道具は大事で、その時代的な変化に影響を受けています。

 室町時代から使われるようになった、『縦引き鋸』と『台鉋』は非常に造仏に変化をもたらしました。それまでは、楔(くさび)を用いた割り製材で製材し、槍鉋で材木を整えていました。

 台鉋の登場で、平滑な面を作って細かい材を張り合わせることが容易に出来るようになり、細かく材を張り合わせる、寄木造りの部材の細分化が進みました。江戸時代の御像ですと非常に細かく部材を寄せています。

 また、建築も平面は、割合アバウトな感じでしたので、像底を刳り上げたり、空洞にしたりして、接地する面を小さく、台座の底面は隅足が付いて点で接地するなど工夫していました。平面、平行に気を使い、像底を平面に作って平らな台座に載せ、平らな基壇に載せるようになったのは近世からです。(例外もありますが)

なので、坐像を時代鑑定する時は、ひっくりかえして底面を見ると制作時期をよく表している場合が多いです。



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 鑿(のみ)も室町時代に形状が変化しました。写真一番上のような袋状の部分に柄を差し込む「袋柄(ふくろえ)の鑿」から、真ん中のような、柄に差し込む「茎式(こみしき)の鑿」に変わりました。

 また、丸鑿は真ん中のような、ウラ(基準面)が外にある外丸鑿が主流で、一番下の現代のような内側にウラがあるものではありませんでした。

 古像の像内の内刳りの鑿跡を見ると、外丸鑿で内刳りされています。薄刃でよく切れる刃物だったことが良く分かります。反対に四角い鑿跡の大工鑿で内刳りが行われている場合には「これは近世以降だな」と感じる訳です(近世に彫り直された場合も含めて)。
こんな事も時代判定のポイントとなります。

 造仏に使われた道具についても思いをはせると、仏像を作った仏師の息吹を感じることができます。

松岡誠一:仏像修復家。先祖が信仰し守ってきた仏像・神像を次の世代に手渡すために修復を行う他、被災した御像の応急修復ボランティアや地域の文化財の保存を支援する活動など。活動は幅広い。東北芸術工科大学(山形市)芸術学科 文化財保存科学コース卒。連絡先は下記リンク参照。
仏像の修復ホームページ
地域歴史文化財保存支援ホームページ

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