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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内其の参拾九 寺町李青(寺町丸太町)

2019-06-14

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寺町李青(てらまちりせい)

住所:京都市中京区下御霊前町633(寺町丸太町南東角)
営業時間:12:00~18:00
定休日:火曜
電話:075-585-5085
アクセス:京阪鴨東線神宮丸太町駅徒歩7分、京都市営地下鉄東西線京都市役所前駅徒歩9分


 「李朝」好きの方ならよくご存知だと想うが、浅川兄弟の弟・浅川巧の生涯を綴った『白磁の人』という小説がある。元々は山梨日日新聞に連載されていた江宮隆之さん原作の小説で、2012年に高橋伴明監督により映画化もされた。私は『浅川伯教の眼+浅川巧の心』という本を2011年に造ったのだがその取材のために、浅川家の菩提寺がある山梨県の高根町(現北杜市)を何度となく訪れた。ある方の話では浅川巧が眠る忘憂里(マンウーリ)の景色と高根町のそれはよく似ているのだそうだ。ここには浅川兄弟資料館があり、浅川兄弟にちなんだ資料がたくさん遺されている。私にとって日本民藝館と並んで、たいへん想い出深い場所でもある。
 私が前述の本を造るきっかけとなったのは、京都洛北にある高麗美術館で2010年に開催されていた「浅川伯教・巧が愛した朝鮮美術」という展覧会であった。巧のことは多少は知ってはいたが、この展覧会を観て兄の伯教の存在に心を撃たれた私は、担当の学芸員であった李須恵さんを訪ねた。そこで李さんから、翌年から大阪市立東洋陶磁美術館で浅川兄弟に関する大規模な展覧会が開かれるということをお聞きすることになる。私は意を決して拙い企画書を手に、当時の東洋陶磁美術館館長であった伊藤郁太郎さんに会いに出かけたのであった。そしていろいろと御指導を戴きながら刊行に至ったのが『浅川伯教の眼+浅川巧の心』なのである。
 この本は私にたくさんのことをもたらしてくれた。それは到底言葉では表しきれないものではあるが、その白眉といえるものが最後の章に収めた伊藤先生と熊倉功夫先生の対談である。「美」というものを相対的に捉えるか、絶対的なものとして捉えるかという根源的なテーマに触れるものとして今でも時々読み返している。私にとってバイブルのような本であるが、2017年に淡交社より刊行された伊藤先生の『高麗青磁・李朝白磁へのオマージュ』という本にもこのお二人の対談は転載された。これも望外の喜びであった。

 今出川河原町にある「李青」を初めて訪ねたのはいつのことだったろうか。雑誌目の眼での取材が一番最初だったと想うが、その後『古いものに恋をして』という本でもお世話になったから、かれこれ15年くらい前のことかもしれない。その「李青」の主人が鄭玲姫(チョン・ヨンヒ)さんである。お父上が高麗美術館を造られた鄭詔文(チョン・ジョムン)さんであり、件の学芸員の李須恵さんは鄭さんの次女でもある。高麗美術館の二階にはいつも鄭詔文さんのビデオが流されているが、ある方がそれを観て「一昔前の京都のおっちゃんは皆あんな喋り方をしていたなあ」と仰っているのを聞いて私は胸が熱くなった。在日一世として祖国と日本の板挟みになりながら、京都の暮らしの中で李朝白磁に出遭い、祖国への想いを胸に高麗美術館を遺して逝かれた鄭詔文さん。その人生を想うと浅薄な同情ではすまされない複雑な想いがある。かつて『日本の中の朝鮮文化』を著した金達寿(キム・タルス)さんが、対馬から海峡を挟んで半島に向かい号泣しているのをNHKスペシャルで観た覚えがあるが、その時も何といってよいのか私には言葉がなかった。
 いつも笑顔で迎えてくれる玲姫さんの中にも、その熱き血が流れていると感じることがよくあったが、「李青」は父の詔文さんとは違った玲姫さんなりの母国への想いが形になったものかもしれない。それをもし言葉でいうなら「李朝」かもしれないと私は想う。かつては韓国の時代区分の中で李王朝時代、李氏朝鮮時代を「李朝」と呼んでいた。今は時代区分として「李朝」ということはない。しかし誤解を恐れずにいえば「李朝」は「李朝」なのだ。「李朝」とは朝鮮の人たちの心の有り様であり、「李朝白磁」とはただの白い壺ではないからである。だから数寄者たちは特別な想いを込めて「李朝」と呼ぶ。それがよく分かるのが、南青山「梨洞」の主人・李鳳來さんが2016年に新潮社から上梓された『李朝を巡る心』である。この本には「李朝」をこよなく愛する人とモノが出て来るが、その中にはもちろん友人の玲姫さんも登場する。そして玲姫さんの蒐集したモノたちは「李青」の至るところに惜しげもなく置かれ、訪れる人の心を和ませている。母国の方が「李青」に来て、こんなお店は韓国にはないと驚いて帰られたと聞いた。

 そんな玲姫さんが、知人から相談を受けて寺町に「李青」2号店をオープンしたのが2017年の10月のことだ。「70歳で新しいお店を始めるなんてねえ」と笑いながら玲姫さんは仰るが、これも天命かと受け止めた。世田谷区経堂にあった茶房「李白」の宮原重之さんと玲姫さんの交流ももはや伝説になりつつあるが、「寺町李青」オープンの話を聞きつけた宮原さんが「李白」で使っていたテーブルを使ってほしいと申し出られた。ここでも「李朝」の心が生きていると私は想った。この間も神保町時代からの「李白」ファンの方が、「寺町李青」に来られて懐かしそうにテーブルを撫でていたという。「寺町李青」の店内には、本店と変わらず新羅・高麗・李朝にわたる陶磁器やポジャギ、籠・笊などの編組品などから韓国の食べものまで置かれている。また店内の李朝箪笥の上に「李朝白磁」の写真が飾られているのが眼を引く。具本昌(クー・ボンチャン)の透き通るように美しい月壺の写真だ。具さんは韓国を代表する写真家の一人であるが、玲姫さんの友人でもある。それらを韓国茶を戴きながら眺めるのも楽しいひとときである。 

 以前、井筒和幸監督の「パッチギ!」という映画があった。出町柳の三角州での乱闘シーンを始め、リアルな会話や当時のコリアンタウンの様子が描かれ、玲姫さんも「井筒さん、上手に撮ってはったわ」と仰っていた。テーマソングの「イムジン河」も切なく、朝鮮学校の女学生を演じた沢尻エリカも美しく忘れられない映画の一つである。父の詔文さんは高麗美術館を造って日韓の文化交流を目指したが、玲姫さんは食や器や美術を通して日韓の垣根を超えた人とモノとの交流をしているのではないだろうか。かつて私は玲姫さんをオモニと呼んで叱られた。「たいして歳も変わらへんのやからオモニと呼ばんといて。ヌナ(姉)と呼びなさい」と笑って仰った。どんな時でもウイットとユーモアに溢れた言葉や笑顔に深い情を感じるのは私だけではないだろう。多くの人たちがお店にやってくるのは、もちろん美味しい飲食やゆったりとしたお店の雰囲気を味わいたいからだと想うが、それ以上に「寺町李青」は玲姫さんに会いたい人たちにとってのマダン(広場)でもあるからだ。柳宗悦にとっての「白磁の人」は浅川巧だが、私にとっての「白磁の人」は、その佇まいといい生き方といいまさに鄭玲姫さんその人なのである。