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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その伍 秦家(はたけ・下京区油小路仏光寺下ル)

2018-12-10

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秦家(奇應丸調合処 秦輿兵衛)
京都市下京区油小路仏光寺下ル太子山町594 TEL/FAX.075(351)2565
ウェブサイト  http://www.hata-ke.jp
見学・体験予約は事前に電話かメールにてお願いします

 京都に来るようになるのには人それぞれの理由があるのかもしれない。家族に連れられて子供の時から来ていたという比較的裕福な家の人や学生時代からずっと京都が好きでという人もいるとは想うが、私のような母子家庭で育った子供にはそんなことは望むべくも無く、大阪万博の時でさえ小学生の私は一人家で留守番をしていた。大学で大阪に来るようになった時も、決して万博公園には近づかなかった。トラウマなのである。しかし人生とは皮肉なもので今は仕事などで民博や大阪日本民芸館に行く機会が増え、太陽の塔を見上げる度にあの頃これを観ていたらまた違った生き方になっていたかもしれないと時々想うのだ。
 私が京都に来るようになった直接のきっかけは京町家友の会に入ったことだ。かれこれ10年くらい前になるだろうか、知人がこの友の会に入って愉しそうにしていた。京町家友の会は京町家再生研究会という建築家の集まりや、京町家作事組という大工さんや左官やさんの集まりに続いて出来た非営利の市民団体である。ハードウエアだけではなく京都のソフトウエアも伝えて行こうと平成11年に結成された。なかなか普段は入れない建物や町家を見学できるので、大変愉しく勉強にもなるのだが、京都に住んでしまったらすっかり足が遠のいてしまった。それでもいくつかの強く印象に残った出合いがあった。京都ホテルオークラの東側・一之舟入にある廣誠院はお庭といい、お茶室といい素晴らしい数寄屋風建築である。また大徳寺方丈の曝涼は牧谿や国宝・重文などのお宝を目の前で観放題という、天にも昇りそうな嬉しい催しであり、無名舎のイヴェントで聴いたチェロのソロの音はクラシックに疎い私の耳にも強く響いた。町家には弦楽器の音が良く似合うのである。他にも見学会を通じて、多くの魅力的な人たちと出会えたのも京町家友の会のおかげである。
 秦めぐみさんに初めてお目にかかったのも、やはり京町家友の会主催の見学会であった。建物が素晴らしいのはもちろんだが、大晦日から元旦にかけての商家のお正月の迎え方などのお話も大変興味深いもので、当時の様子が目に浮かびしみじみとしたものだ。
 秦家(はたけ)は元禄13年から続く薬屋だった。奇應丸を調合し、問屋さんに下ろす。明治以降、他にも2種類薬を商うようになったが、京都で奇應丸を扱うのは秦家だけであった。それが昭和61年に十二代目のお父様が亡くなられて状況が一変する。まさに晴天の霹靂であったであろう。秦さんはそれまで普通の仕事をしていて町家に住んでいることも、お父様が元気でいることも当たり前だと想っていた。「右も左も分からない世間知らずでしたから、それからは本当にいろいろなことがありました」と秦さんは云う。秦家は典型的な職住隣接の町家であり、今は京都市有形文化財に登録されている立派な町家の一つである。その家を手放すことも考えていたと聞いて大変驚いた。以来、腹を括って如何にしてこの町家を次世代に遺して行けるか、秦さんはそれだけを考えているという。
「料理秦家」を始めたのは16年ぐらい前。正月や餅つきや蓬団子つくりなど、町家暮らしの楽しさを味わってもらおうと翌年「くらし体験会」も始めた。また3年前からは、親子で町家での暮らしを体験してもらおうと「親子会」というサロンも始めている。そしていろいろと試行錯誤して行く中で、30代から40代の女性たちが秦家に集まるようになってきたのだ。彼女たちは良質の教育を受けて、就職し、経済的にも精神的にも自立している女性たちや若い母親たちが多い。秦さんは回を重ねるごとに物見遊山の人は減り、秦家の場としての魅力や、古いものの中に残る新しさ、面白さを求めてやってくる人が多いことに気がついた。そんな女性たちから触発されることも多いと秦さんは云う。それは彼女たちのものの見方であったり、ものを受容するセンスであったり、小さなことでも一所懸命に努力する姿勢なのだが、それらが大変刺激になるそうだ。今、秦家はそんな素敵な女性たちが自然に集まり、互いに学ぶ場として進化し続けている。
 今年も祇園祭がやってくる。観光客にとってはただのお祭りであるが京都の人、特に洛中に住んでいる人たちにとっては坦坦とした日常が晴れになる時だ。後の祭りの復活や大船鉾の唐櫃が巡行するなど、祇園祭も昔のカタチに戻ろうとしている。変わるもの、変わらないもの。どこの山も鉾もそれぞれの町内の独自性と矜持を持って、祇園祭に臨んでいる。三十二基ある山鉾の中でも太子山の歴史は古く、応仁の乱以前から現在の場所にあるという。今までと変わらずに太子山も秦家も吉符入りの日を迎えるだろう。そして秦家はこれからも秦さんがやりきったと想う日まで在り続けるのだ。それはまさに秦さんの目指す自立のカタチなのかもしれない。

(上野昌人)