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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その九 菅藤造園 (中京区夷川堺町東入)

2018-10-19

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菅藤造園
〒604-0815 中京区山中町542-202
TEL.090-1226-2778
ウェブサイト

撮影協力◇ZEN CAFE
京都市東山区祇園町南側570-210
TEL.075-533-8686
11:00~17:30(ラストオーダー)月曜日定休
ウェブサイト

 石庭といえば龍安寺を思い浮かべる方が多いのではないかと想う。初めて龍安寺に行った時「意外に小さい庭だな」と想った記憶がある。その後明石散人の『宇宙の庭~龍安寺石庭の謎』という本を読んだ時に、私と同じ印象を持った主人公がその疑問を切っ掛けに謎解きを始め、物語は展開するのだが、あまりの面白さに、一時期は明石散人の書くものにすっかり嵌ってしまった。他にも小説仕立てになっているもの、対談、評論集など数多くの本が出ている。日本史のある部分に光を当て、数々の論拠を積み重ねながら独自の推論を展開してゆくのが明石流だ。龍安寺の石の配置についても、明石散人はそれまで云われてきた諸説を憑拠を上げて否定し、その上で自説を展開しているのだが、これが大変面白く興味をそそられた。凡庸な私は、同じ印象を持っても石庭を前にしてもただ眺めるだけであったのだが。 京都に住むようになると、植木屋さんと知り合う機会が増えた。それだけ京都には庭が多い。町家の坪庭、茶庭、寺院の庭、数寄者の庭など枚挙に暇がない。町家を改装したからであろうかチェーン店の珈琲屋の店の中にさえ庭があったりする。それだけ日々の暮らしが自然とともにあることを感じるのだが、それらの庭は決してファッションではない。住まいと密接な関係があり、すべてに必然性があるのだ。
 菅藤さんは長崎で生まれて、東京・国立にある大学に通っていた。国際法を学び同級生は皆、商社や官庁などビジネスマンの王道を進む中、なぜか庭師になることを選ぶ。庭師なら京都と狙いを定め弟子入りし、7年の修行ののちに独立する。この7年というのが長いのか短いのか門外漢の私には良く分からないが、独立したのだから広告でも出すかと『目の眼』に出稿してくださった。それが菅藤さんとの出会いに繋がるのだから想えば不思議な縁である。古美術の雑誌に造園業の広告は珍しかったので私は良く憶えていたが、直接お目にかかるようになるのはついこの2年くらいのことだ。なぜ植木屋になったのか?聞いてみたいと想った。この不思議な生き方を選んだ青年に、私は大変興味があったからである。
 菅藤さんの作った庭をいくつか見たが、一見何の変哲のない庭のように見える。しかしよく考えるとそれは限りなく自然に近いということであり、私たちもその一部分であるということを強く意識させられる。そしていくら見ても見飽きないのである。一番最初に観たのが八坂神社の北側にある現代美術の画廊eN artsの茶室の庭であった。その時にはその庭が菅藤さんの造った庭とは知らずに、一隅にある茶室で作品を観ていた。ほの暗い茶室の中で、作品よりも存在感を示しているのが庭であった。木々の緑の見え方が光の加減で時間によって変わったり、微かにそよぐ風に揺れる草木たち。いかにも茶庭ではない普通の庭なのであるが、それが妙に心に残った。全然茶庭らしくない、あまりに自然すぎて、元からそんな風であったかのように存在しているのだ。それはZEN CAFEの庭を観た時にも同じ印象を持った。
 菅藤さんは寡黙で、私のように余計なことは喋らない。庭師になろうと京都に来て、いろいろな苦労もあったことだろう。きちんと目標をたてて、黙々とクリアしていくその安定感のある仕事ぶりに、お客さんが次のお客を呼ぶ。京都ならではの口コミは、本物を見逃さない。今も伝手が伝手を呼んで、新しくオープンされる旅館の庭を造っている。どんな旅館と庭が出来上がるのか大変楽しみにしているのだが、きっとまた菅藤さんらしい庭が観ることができるだろう。
 取材を口実に比叡平にある資材置き場に案内してもらった。そこには石灯籠や天平瓦などと共に白川石を始め、たくさんの石が置いてある。それらの石は少しずつではあるが、菅藤さんが選び抜いて集めたものだ。私には石の善し悪しなど分かる筈もないが、京都の石は京都の庭に使いたい。それはどんなにお金を積まれても、本当に良い石は京都に遺しておきたいと菅藤さんは云う。これが、京都の庭師が持つ矜持なのか、菅藤さんの個人的な想いなのか良く分からないのだが。
 京都で庭師の仕事をするということは大変なことだ。植物や石に精通するのは当然で、そこに歴史という重みが加わる。龍安寺の石庭もかつては枯山水ではなく、桜の樹のある普通の庭であったという。庭の位置や大きさも違っていたのではないか、と明石散人は推測している。約500年の時が流れ、何度かの火事や戦があり今に至る。人の命はせいぜい長くて100年、かつては50年であった。人は死んでもものは遺る。あの資材置き場にあった石も何万年という時を経て、京都に存在し出番を待ち続けている。
 私は仕事柄いろいろなものを観てきたが本当に美しいものは、「静けさ」と「強さ」という相反するものを兼ね備えていると想う。騒々しいものはインパクトはあるが飽き易い。美の捉え方にはいろいろあるが、この「静けさ」と「強さ」は、一個人の好みなどは遥かに凌駕するものではないだろうか。例えば、海や石のように。フランスの哲学者、ロジェ・カイヨワは『石が書く』という本の中で、自然が作る抽象美を石の中に視ていた。人間が作り出した美など自然が作り出した恩寵にかなうべくもなく、それでもただ石は存在していると。菅藤さんも「ただ存在しているだけの庭」を造ろうとしているのかもしれないとふと想った。そしてそれが一番ラディカルなことではないだろうか。(上野昌人)