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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その十一 西村圭功漆工房 (北区紫竹小山下総町)

2019-08-22

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西村圭功漆工房

〒603-8151 京都府京都市北区小山下総町16-4
TEL.075-202-6255 連絡を必ずしてください
ホームページ

 ロスコの赤は根来の朱だ、と云った人がいる。凄いことを云う人がいるものだ、と驚いたが、それ以来、ロスコの作品を観ると根来を想い出し、根来を観るとロスコを想い出すという妙なことが続いている。というわけでMIHO MUSEUMでの「根来展」は、私の中では川村美術館のロスコ・ルームに繋がっている。高村薫は好きな作家の一人であるが『太陽を曳く馬』は現代美術と禅をモティーフにした小説である。頭の悪い私などは三回読んで、ようやく少し理解できた気がしたのだが、改めて高村薫という作家の創造力とスケールに驚いた。この本のカバーにロスコの作品が使われているのだが、上巻と下巻で違う作品が使われている。『晴子情歌』から『リア王』と続き『太陽を曳く馬』へと至る三部作ではあるが、この小説は前の二作と趣が少し変わっている。後に雑誌で高村薫は現代美術が好きだと書いているのを見て納得がいったのだが、そうでなければこんな重層的な小説は書けないだろう。
 西村圭功さんは京塗を生業としている。その西村さんがあるときブログでこんなことを書いておられた。「根来の景色は本当に擦れてできたものなのだろうか? もしそうなら他の部分にも経年変化や傷みが出ていてもおかしくはないのではないか」という趣旨だったような気がしたが、作り手からの意見だけに成るほどと想えた。一度お話を聞いてみなければ、と工房にお伺いすることにした。
 皆さんご存知の通り、漆器にはいろいろな産地があり、秀衡のような蒔絵を施された貴族が使うためのもの、根来のように寺院で使われたもの、合鹿(ごうろく)のように、村人が自分たちで使うために作られたものなど、全国に産地があり、歴史や風土により数々の漆器があった。今は輪島や京都、会津などが有名ではあるが、昔は陶器が贅沢品であったから、寧ろ漆器が庶民の暮らしには馴染んでいたようだ。しかし今、どれだけの人が漆の器を使っているのだろう。
 西村圭功さんはお祖父さんもお父さんも上塗りをする塗師であったから、三代目である。高校を卒業すると、故・鈴木表朔師匠の元で下地から蒔絵まで、一通りの仕事を覚えた。それもあって西村さんは塗りに関しては一人で全部おこなっている。初めて西村さんの作品を拝見したとき、その薄さに驚くとともに、何ともいえない色気のようなものを感じた。主力商品は、黒の真塗中棗であると聞いて合点がいったのだが、とても薄造りでありながら存在感があるのである。これが京塗なのか、と想ったのをよく憶えている。今回も轆轤引きした器を拝見したが、紙でできているのかと見紛うほど薄造りの木地であった。これを下塗りしながら、厚さと重さの調整をしてゆくのだそうだ。その作業はある意味、祈りのような気がした。もちろん西村さん自身は一刷毛ごと丹念に塗り重ねているだけなのだろうが、それはまるで禅の修業のようだと感じた。想わず「仏教や禅にご興味おありですか?」と野暮な質問をしてしまった。すると「仏教はよく分かりませんが、お茶はやっています」という答えが返ってきた。
 実は西村圭功さんと会う前に、奥様の洋子さんとはある骨董屋さんで出会っていたのだが、洋子さんは海外での暮らしが長く、スイスの裏千家の出張所でお茶を習っていた。そのお茶の先生の師匠が、ローマ出張所の野尻命子(のじりみちこ)さんで、まさに禅を基本にしたお茶を教授されておられたそうだ。先ずお茶の稽古に入る前に、座禅を組む。それによって丹田に重心を落としてお点前をすると、自然と姿勢がよくなる。圭功さんもその影響をうけてお茶の稽古しているのだが、とても仕事にも役立っているという。
 漆の仕事では下地を作ることがとても重要で、下地がどれだけ出来ているかで、漆の価値はきまるという。世の中には上塗りはきちっとやっているが、下塗りはいい加減である場合も多い。ただそれは使ってみないとわからない、それも数年使ってみないと分からないというから、漆の善し悪しを見分けるのは本当にむずかしい。作り手を信用するしかないのだ。中棗は一つ作るのに、最低1年はかかるそうだ。もちろんその間ずっと作業しているわけではなくて、半年以上は寝かしているのだが、乾燥させると漆はどんどん嵩が減ってゆく。その漆が減って固くなるのを待つのだが、いい漆器になるかどうかの分かれ目はそこにあるという。なんと根気のいる仕事なのだろう。
 西村圭功さんの作品は小売されていないので、ほとんどが注文か、直で販売する仕事である。注文では普段やらないような螺鈿や箔を貼った変わり塗りなどのオリジナル漆器を作る仕事や、インテリアの仕事などもしている。自分の仕事の中心は真塗の作品づくりだというが、とても繊細な仕事なので神経を使う。螺鈿や箔は使わない、あくまでも塗りで勝負しているからだ。どちらも職人の仕事であるが、自分の名前で納めた漆器は、後世に残っても恥ずかしくないような仕事をしたい。何百年も前に作られた漆器を今、手に取ると当時の職人の息づかいを感じることができるが、自分が作った漆器も何百年後の人が手に取ったときと同じように感じて欲しい。そして脈々と受け継がれた、日本独自の漆の技術を次の世代に橋渡ししたい。西村さんはそう想っている。
 新婚旅行でいったベニスで、フォルティーニ財団が集めたコレクションを展示した「インフィニティウム」という展覧会を観て、二人は衝撃を受けた。紀元前のものから、今のものまで、古い倉庫のようなところをリノベーションした空間に作品を展示していた。一番最後の展示にロスコの作品があり、その手前に当代樂吉左衛門の茶碗が置かれているのを観たときに、驚くと同時にとても腑に落ちたという。何がファインアートで、何がアプライドアートなのか、アートはボーダーレスでいいのではないか。職人としての仕事と、新しい漆の可能性の間を行き来している圭功さんにとっては、とても刺激的な展覧会であった。洋子さんと出会った意味は大きかったと圭功さんはいう。出会っていなければ、お茶や海外なんて知ることもなく生涯一職人で終わっていたのではないか。
 西村圭功さんの漆を最初に観た時感じた色気は、町家の奥の仕事場が醸成したものであり、それを見逃さなかったのは洋子さんの眼であったのかもしれない。今回拝見した撓めという技法を使った漆の水指はとても美しい作品であり、お茶で使うことはもちろん、ただそこに存在しているだけでも素晴らしいモノであった。夫の技術と妻のセンスで、西村圭功漆工房の漆はできているのだなと想った。(上野昌人)