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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その壱拾参 ギャラリーC.A.J.(中京区姉小路御池下ル)

2018-12-10

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 ノウカミホ


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 周防絵美子


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 中村智志


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 井澤葉子


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 田口史樹






ギャラリーC.A.J.

京都市中京区富小路御池下る松下町129
TEL.075-211-3648
営業時間13:00〜18:00
不定休
ホームページ

 昔から身に何かモノを着けるのは苦手だった。今でもお洒落とは縁がないし、服や靴もその時あるモノで済ませてきたので、自分から何か身の回りのものを選ぶ、ということはなかった。時計もそう。元来汗っかきなので革のバンドが苦手である。二十年前くらいに買ったジョージ・ジェンセンの時計も、どこかで埃を被っているに違いない。今でこそパテック・フィリップのオールドウオッチなどを見るといいな、と思うこともあるが、自分には分不相応であるし、いいモノを持つと必ずといっていいくらい失くしてしまったりするので持たないことにしている。その意味でもジュエリーというのは自分から一番遠く、縁遠いものだと今でも思っている。
 10年くらい前だろうか、箱根に行ったときにラリック美術館を訪ねた。西洋骨董には食指は動かなかったが、どうしても観たいという人のお供で仕方なく行ったのだ。ところが、ジュエリー作家としてのラリックが、自分の作りたいカタチのために素材を選びぬき、ガラスや金属を使った作品にまで表現が進化してゆくプロセスを観て、とても驚き感動した記憶がある。なんてかっこいいんだろう。額縁だけがいくつか展示されていたが、これらも額縁だけで十分成立するくらいカッコよくて、いやむしろ何もないほうがいいかもしれないと私は思った。同じガラス作家でもガレやドームには惹かれないが、ラリックに魅せられたのはアール・ヌーボー、アール・デコという1900年代初頭の様式美を持ちながらも、古臭さを感じさせない。以来、私にとってラリックはベタではあるが、好きな作家の一人となったのである。
 コンドウヒトミさんはギャラリーC.A.J.という画廊を主宰している。初めてお目にかかったのは、ご主人の近藤高弘さんの取材でアトリエに伺った時だ。その頃はまだ画廊を主宰しておられることなど露知らず、センスの良いお洒落な奥さんだなぁ、と思った。後日お目にかかった時、とても素敵なブレスレットをしておられたので良く見せて頂くと、たくさんのヘアピンを渦状に組み合わせたものであった。特別なヘアピンではなく、日常使われているようなヘアピンでこんなお洒落なブレスレットを作る人がいるのかと、とても驚いた記憶がある。ヒトミさんが作られたものかと思い、お聞きすると自分のギャラリーで扱っている作品だという。そこで初めてヒトミさんがギャラリーをされていることを知ることになる。すでにセンスの良い女性の方たちの中ではこのギャラリーをご存知の方も多いかと思うが、私は全く知らなかったのだ。以来、たまにお邪魔するのだがゆくたびに新しい発見があり、コンテンポラリー・ジュエリーというジャンルがあることを初めて知った。
 ある時近所まで用事があったので、ふらりとC.A.J.を覗くと田口史樹さんという方の個展をやっていた。いわゆる鏨を使ったシルバーの彫金の作品であるが、そのクオリティの高さに驚いた。こればかりは実物を見ていただくのが一番良いと思うが、一彫り一彫り、細かいところも丁寧に掘られている。ジュエリーというよりは立派な工芸品だと思った。今だとコンピューターや3Dなどで作る人もいるのかもしれないが、これはやはり手で彫ったからこそ美しいのではないか。機械で均一に彫られたモノは型の美と一緒で整ってはいるかもしれないが、人の手で彫ったモノはその微妙な間やズレが光の不規則な反射を作り、美しさと力強さを醸し出している。美は細部に宿るというが、やはり本物の手仕事のディテールはこの上なく美しいと改めて思わせてくれる作品であった。
 コンドウヒトミさんは大学で児童文学を専攻していたが、ご本人曰く子どもの頃からヤンチャだったので、和のお稽古事をさせられていたという。ミュージアムでアルバイトをしていた時に、ご主人の銀彩の香合の作品と出会って現代的なモノに目覚めたという。ジュエリーと関わった切っ掛けは、2002年にご主人がエジンバラに留学し、そこで硝子や金属などの新しい素材と出会った作品造りを始めたことによるというから不思議な縁だ。そして夫妻でコンテンポラリージュエリーの面白さに目覚めるのである。その魅力の一つはコンセプトを身に纏うこと、つまり身体がキャンバスになるということ。もう一つはコミュニケーションツールになるということ。私もそうであったが、「それなに?」と訊きたくなるモノだからだ。そして女性の場合、それが身に着けるものであればなおさらだ。
 こんなことを書くと現代美術に詳しい方からはお叱りを受けるかもしれないが、日本の現代美術の一番の特徴は工芸的であるところではないだろうか。その完成度の高さはやはりディテールに集約されている。明治工芸が超絶技巧だともてはやされ、実際素晴しいモノがたくさんあるとは思うが今ひとつ私は好きになれない。どうしても古臭く感じてしまうからだ。C.A.J.に置いてある作品を観ると、日本の工芸の粋を知ることができると同時に今の表現が観てとれる。それがとても愉しい。お茶やお花が衰退して、モノ造りの人たちの活躍の場が少なくなっているが、C.A.J.のジュエリーを観ると新たな工芸の可能性を感じる。それは単なる装飾美ではなくて、見て楽しいという「鑑賞の美」と身につけて楽しいという「用の美」両方を持ち合わせた日本の美のあり方を示してくれている。それはコンドウヒトミさんが、和のお稽古事をしていたことと無縁ではないだろう。見立てがそこにあるからだ。素材と造形の組み合わせの妙がコンテンポラリージュエリーの面白さなのだと私は感じた。
 そしてつくづく私は男でよかったと想う。このギャラリーC.A.J.は女性にとっては悪魔のような店だと想うからだ。(上野昌人)