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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その壱拾八 ギャラリー創(中京区河原町御池上ル東側)

2019-08-22

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ギャラリー創

京都市中京区押小路通河原町東入ル一之船入町384 ヤサカ河原町ビル1F
TEL.075-251-0522
10:00~18:00 水曜日定休
ホームページ



私の好きな本の一冊に『京都画壇周辺』がある。この本は中井宗太郎とともに京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)で教鞭を執っていた、加藤一雄の随筆集である。中井宗太郎はともかく、加藤一雄ほどその実績のわりには知られていない人も珍しいのではないだろうか。京都や絵画に対するアイロニカルでありながら、愛に溢れた文章は数は少ないが熱狂的なファンを生み出した。私も虜になったその一人ではあるが、四条圓山派から国画会へと至る京都画壇の流れはこの人の書物から教わった。生前にまとめられた本としては『近代日本の絵画』や『麦僊・華岳』があるが、これは古書でもなかなか入手できないし、今読めるものと云ったら『無名の南画家』と『蘆刈』の二冊の小説と、折に触れて書かれた随筆をまとめた『京都画壇周辺』と『雪月花の近代』くらいしか遺っていない。著作物は多くはないものの、『無名の南画家』と『京都画壇周辺』は湯川書房版も出ているから、湯川さんも加藤一雄にすっかり魅せられた一人であったに違いない。


 10年前くらいであろうか、京都に移住する前のことである。京都ホテルオークラを北へ上りながら、二条通まで出ようとした時のことだ。ビルの1階のウインドウに白隠の書がかかっていった。吸い寄せられるように近づくと店の中には熊谷守一や鴨居玲、そして斎藤真一の絵も見える。斎藤真一は学生時代に梅田のナビオ阪急で観たのだが、よほど赤の印象が強烈だったのであろう。お金がなかったにも関わらず図録が手元に残っている。白隠と鴨居、斎藤真一の不思議な取り合わせに魅せられて、つい中に入ってしまった。それがギャラリー創との出会いであった。


 それから京都に行くたびにこの画廊を覗くことになる。麻生三郎や難波田龍起など私の好きな作家が架かっているせいもあるが、行くたびに思いがけないものと出合えて楽しいのである。私などが手が出せるものがないから、気楽だということもあるのだが、名画に囲まれて大変居心地がいい。この10年前くらいというのはご主人の山本順子さんが、禅文化研究所の吉澤先生と出会って即発され、白隠を入手し始めた頃だったという。以来、京都画壇を中心とした作家ものから南画、墨蹟、そして若冲、應挙、宗達といった江戸時代の作家の作品が画廊に並ぶことになり、だんだんと古いものが増えてくるようになる。それと機を一にして何人かの関西一円の学芸員の方たちもここに集い、コレクターも含めてちょっとしたサロンのようになっている。そんなタイミングで私は山本さんに出会ったのである。


 山本さんは神戸で生まれ育ち、大学まで神戸という生粋の神戸っ子である。しかし絵の勉強なら京都にゆかねばと、京都大学の美学を聴講し、その後パリに4年留学する予定も諸事情で2年で帰国。学芸員の資格をとって、美術関係の仕事に就いたがストレスが原因で身体を壊してしまったという。これではいけないと思いたち30歳を迎えた時、N.Y.で本格的に絵の勉強をもう一度しようと決心した。ところがその矢先に、友人が好意で物件を見つけてきて、ほとんど弾みで烏丸綾小路の小さなビルの3階で画廊を始めることになる。これが美術商として仕事が始めるきっかけになるのだから、人生とは分からないものだ。手持ちの絵もないので、当時はまだ無名であった日展作家の絵画を借りてきて並べた。長閑ないい時代だったのだろう、業界の右も左も分からない若い女性と、それを面白がって買ってくれたコレクターの人たち。いろいろな事情があってその場所を1年で出ることになり、京都ホテルの1階に移転することになる。この移転話は大変面白いものであるが、ここでは書けない。書けない話が面白いのは道理なのだが。それが昭和61年のことである。


 山本さんと話をしていると、少女のように目を輝かせて絵や美術の話をなさる。本当に美しいものが好きなんだな、と感じる。そして何か新しい対象を見つけると、とことん勉強し自分のものにしたいと思う、負けず嫌いさも持ち合わせている。朝鮮の古画を手に入れれば、学芸員の方に教えを請うし、韓国にも行く。そして資料を集めて美術品だけではなく、その産まれた歴史背景や文化にまで思いを馳せる。またそれを苦もなく楽しそうにされているように見える。美術に関わる仕事は、全人格的な仕事である。仕事が遊びであり、遊びが仕事でもある。境目がないのだ、それは美にも当てはまることで、好きな人にとっては国境はおろか古い、新しいの時間の区別もない。ただ目の前にあるものが好きか、嫌いか。欲しいか、欲しくないか。美術商として直観で作品を選び取るためには、常に心のアンテナを磨いておく必要があるのだろう。その情熱に私の方がたじろぐこともしばしばだ。


 お店に伺うと、山本さんはいつも満面の笑みで迎えてくれる。お店の若い方達も礼儀正しく、感じがいい。そして名画の数々に囲まれながら美味しいお茶を戴くのは至福の時だ。最近は佛像や青銅器などもちらほらお目にかかる。そんなお店に人が集まらないはずはないのである。そして加藤一雄の愛した京都の街と物語は、山本さんのような美術を心から愛するディーラーとそこに集まるコレクターによって語り継がれていくことだろう。あと20年はこの仕事を続けたいと仰る山本さんの画廊がどんな風になって行くのか、私は遠くから眺めていたいと想う。


 帰り際にショウウインドウを振り返ると、中川一政の「扁舟一棹歸」という書が架かっていた。
 Merry X'mas!