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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その壱拾九 ギャラリーYDS (中京区新町二条上ル東側)

2019-08-22

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ギャラリーYDS

京都市中京区新町通二条上る二条新町717
TEL&FAX.075-211-1664
11:00~18:00
営業日:月曜日~土曜日  ※日曜・祝日・第2土曜日はご予約でのオープン
ホームページ



 職人に憧れた時期が私にもあった。子供の頃、通知表に落ち着きが無いと書かれたが、実際そうだったと想う。一芸に秀でる才能もなく、かといって職人になれるほどの根気も精緻さもなくこの歳まで生きてきてしまった自分である。かえって不器用であれば何かを成し遂げられたかもしれないが、小器用なところも残念なところである。逆に商業デザインという後にほとんど残らない仕事であったから、今まで何とかやってこれたような気がしていると云ったら、同業者の方たちに叱られるだろうか。作家ももちろん素晴しいが、例えば饅頭一筋80年という生き方に憧れるのは、自分には絶対真似できないからである。その意味でも京都はそんな職人たちの最後の砦であるから、私がこの町を好きでたまらない理由をご理解戴けるかもしれない。

 皆がそう呼んでいるので、私も最初から周ちゃんと呼ばせてもらっているが周ちゃんの本職は、京友禅の職人である。「高橋徳」という京友禅の有名な工房の四代目でもある。曾祖父が若くして岐阜から京都に出てきて、馬町の型友禅の工房に丁稚として入り、今の場所で商売を始めたのが明治32年。周ちゃんのお父さんが想いもかけぬ形で三代目を継ぐことになり、周ちゃんも京都造形大学の染織コースで勉強したあと、金沢で有名な加賀友禅の工房で7年間修業をした。

 京友禅で「高橋」といえば出自がすぐに分かってしまう、という理由で金沢に修業に行くわけだが、結果として金沢に行ったことが今の自分自身のベースになっているという。もちろん勉強に行ったわけだが、自分の部屋を持って一人暮らしするも初めてのこと。部屋の家具は新しいものを買わずに、粗大ゴミ置き場から拾ってきた。それをきっかけに古いものに興味を持ち始め、骨董屋や古い家具を扱う店を回り始めるようになる。今でも名残があるそうだが、一時期はミッドセンチュリーに嵌って夜行バスで東京の家具屋回りもしていたという。その後北欧やヨーロッパのものに移行するのも必然だったが、和物には全く興味がなく、海外に行ってもそんなお店ばかり回っていたというから、きっと楽しくて仕方なかったのであろう。しかし金沢の楽しい修業時代もいつまでも続けるわけにはいかないし、跡継ぎとして家に帰らなくてはいけない。そしてこの時の経験が京都に戻ってギャラリーを開くことに繋がるとは、ご本人も想いもかけないことであったに違いない。
 YDSに行かれたことがある方はご存知だと想うが、とても立派な日本家屋である。かつては町家であったのであろうか、今は一階の和室を中心にギャラリースペース、二階が友禅の工房になっている。三階にも洒落たスペースがあり、自分で集めた家具や道具類、そして展覧会で紹介してきた作家の作品が並んでいる。ちょっとした秘密基地のようだ。だが長らく一階は空いていて、何かに活用できないかと思案していた時に、ギャラリー的な空間にしたらどうかといい出したのは周ちゃんだった。それが4年前の12月のことで、実際にギャラリーを始めたのが翌年の2月のことである。

 その時点では日本の手仕事の作家はほとんど知らなかったという。さて誰かいないかなと思案した時に、お父さんが薦めてくれたのが陶芸家の清水志郎さんであったと聞いて私は少し意外だった。何故なら志郎さんと周ちゃんは、今ではお互いになくてはならない双子のような存在だと私は感じていたからだ。実は工房の友禅の糸目糊置き職人さんの息子さんと結婚した女性が、志郎さんのお姉さんだったという。そのご縁があってご両親が、五条坂の陶器市に出かけているのは知っていたそうだ。ところがその頃の周ちゃんは骨董に夢中で、陶器市なんて見に行ってもつまらないと想っていたのでほとんど興味もなかったというから面白い。ましてギャラリーをやろうといい出したものの、企画や運営の仕方はさっぱり分からない中で、志郎さん姉弟と会うことになった。経緯からして向こうも断わりきれなかったのだろう、最初に会った時には志郎さんは一言も話さなかったという。それが今や年に一度は必ず展示会をする関係になるのだから人生は分からない。そしてこけら落としは清水志郎さんにお願いして始まったYDSは何と幸せなギャラリーであろう。そこから全く誰一人、何も知らない周ちゃんの作家探しの旅が始まるのである。普段は和服の似合う若旦那という趣であるが、実は友禅の仕事の合間をぬって全国を飛び回る情熱を持ち合わせているのだ。

 大変なこともあるが楽しいことも多いし、あんなことしてみたいこんなことしてみたいという、前に突き進むエネルギーで4年間やってきた。もちろん友禅の職人が本職だから時間の制約もあるのだが、作家さんとの出会いの中からたくさんの刺激をもらい、隠って仕事をしていた時よりもいい影響が出てきているという。好事家の眼を持った職人の周ちゃんが、これからもどんな展示会をしてくれるのか、どんな新しい作家を発掘してくれるのか楽しみにしているのは私だけではないであろう。YDSはYuzen Design Studioの略であるという。友禅とギャラリーの交差点で生まれる京都の新しい美を、YDSで見ることができる日はもうそこに来ているのかもしれない。