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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その弐拾弐 堺町画廊(中京区堺町御池下ル)

2018-12-10

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 徒然なるままに拙文を認めているわけであるが、何を基準にお店を選んでいるのか? とたまに聞かれることがある。理由は簡単なことなのだが、基本的には衣食住以外のモノを扱うお店で、自分と縁があったところに限っているだけなのだ。どんなに素敵なお店でも行ったことがない店のことは書けないし、嗜好品、特に日常生活の中で無くても差し支えないようなモノが大好きで、商売が下手そうなお店は特に書きたくなるのは私の性かもしれない。「ようこんなお店やってはるなぁ」、という感じのお店が好きなのである。もちろん何事にも例外はあるが、このモノが溢れかえる世の中では、MUJIで全部揃えたほうがいっそスッキリするのであろうかと思ったりもするが、もちろんそれだけでは詰まらない。

 堺町画廊を最初に訪ねたのが何時であったかはっきり思い出せないが、たぶん京町家の見学会であったから15年くらい前のことであろうか。隣は現在、和久伝堺町店になっている昭和の建物であるが、南側にある堺町画廊は築140年くらいの立派な町家だ。主人の伏原納知子さんは4代目で、ここで代々内科医院を開業しておられたそうだ。納知子という素敵だが、不思議な名前は鳥類の研究をされていたお父様が男なら「アオジ」か「クロジ」、女性ならば「ノジコ」というホオジロの種類の名前をつけると決めていたことに由来する。確かに調べるとホオジロの種類に「野路子」「野地子」という名前がある。世の中知らないことだらけだ。また伏原さんは画廊主という他にも絵本作家というもう一つの顔をお持ちでたくさんの絵本を描かれているのだが、こちらもつい最近まで知らなかったのだから、不覚の連続である。

 伏原さんは、京都精華大のクリエイティブデザイン科を卒業したが、いきなり絵本作家になれるわけもなく3~4年は着物の素描を生業としていた。少しづつ絵本の仕事もしながら食べられるようになって来た頃、自宅を画廊にしようかという話になった。町家に住むのも大変だが、維持するのはもっと大変だ。たぶん窮余の策であったのだろうが、画廊を薦めてくれる人もいたらしい。そこで決断することになるが画廊を始めたら、なかなか外にも出られなくなるからと大好きだったケニヤに単身出かけていったという。憧れのケニヤで、実は将来の伴侶となるご主人とすれ違っていた。日本に戻り画廊を始めた時に、ケニヤで知り合ったアーチストの展覧会を開いた。その時にご主人が訪ねてきてくれたそうだ。連れて来たタンザニアの友人たちと大いに盛り上がり、一緒に呑んだりした。それがきっかけでおつきあいが始まったというから、ケニヤに行った時にすでにご縁があったということだろうか。

 最初の3~4年は企画ばかりで絵本を描く暇が全然取れなかった。絵の展示はもちろんだが、16ミリ映写機を借りてきては上映会をやったり、ライブをしたりと、今とあんまり変わらないわね、と伏原さんは屈託なく笑うのだが、気がつけば開廊して33年になるという。今では展示はもちろんこの空間でイベントを行いたいという人たちで、いつも賑わっている。

 私はたまにしか伺わないのであるが、いくつか想い出に遺っている展覧会がある。一つはガラス作家の荒川尚也さんの展覧会だ。堺町画廊は高い吹き抜けと、そこに設えられた窓が印象的な造りになっている。荒川さんはガラスの小鳥を創り、伏原家に遺っていた古い鳥籠に入れて展示したのだ。その鳥が東西の窓から入る日の光に反射したり、透過したりしながらまるで生きているかのような錯覚をもたらした素晴しい展示であった。またアキノイサムさんの展示も印象的であった。アキノさんがどんな方かも全く知らずにDMの絵に惹かれて伺うと、病み上がりだと仰っていたアキノさんとお目にかかることができた。Bird eyesという言葉があるが、褐色の大地を見下ろすような視線はまさに鳥の眼だ。アメリカインディアンの生まれ変わりのような風貌に、透き通った眼はとても日本人とは思えなかったが、秋野不矩さんのご子息だと後で知って合点がいった。友人が大阪にお店を開いたので、そのお祝いにアキノさんの版画を一枚戴いて贈った。真っ黒い木が下から上へ伸びて行く力強いその版画は、その友人のことを髣髴とさせたからでもあった。その展覧会のあと、秋野さんが亡くなったと聞いた。不思議なことにその友人も同じ病気で亡くなったのだが、あの版画はどこにあるのだろうかと時々想い出すことがある。

 ある時、何かの弾みで伏原さんとURCレコードの話になった。URCとは40年くらい前にあったアンダーグランド・レーベルのことだ。五つの赤い風船や高田渡、岡林信康、高石友也などの関西フォークを中心にしたフォークソングのレーベルで、早川義男や休みの国といった貴重なレコードをたくさん出していた。それを伏原さんがたくさんお持ちだという(その所為もあって私は伏原さんをバリバリの学生運動をしていた方だと思っていたのだが)。そこで、作家のいしいしんじさんを唆して10人くらいで「URCのレコードを聴く会」を開かせて頂いたのも懐かしい想い出だ。

 堺町画廊には本当にいろいろな人が集う。芸術や工芸だけでなく、自由や平和を愛する京都の人たちが多いが、それは何より伏原さんの人柄とこの画廊が持つ独特な雰囲気によるのではないだろうか。帰巣本能ではないが、ここに戻ってきて何かほっとしたい人たちの宿り木というか巣のような役割を果たしているような気がする。それは納知子さんがお父さんから受け継いだ財産でもあり、本当の名前の意味かもしれないと私は想うのだ。

堺町画廊

京都市中京区堺町通御池下ル TEL.075-213-3636


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