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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その弐拾参 ギャラリータフ(山科区)

2018-05-24

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ギャラリータフ

607-8104 京都市山科区小山谷田町16-3
Tel&Fax.075-594-8070
12:00~18:30
不定休につき要アポイントメント
ホームページ



 以前にも書いたと思うが、私が骨董に溺れかけた時救ってくれたのは現代美術だった。それは興味の対象が古いモノから、同時代の新しいモノに移行したという単純な話ではない。アカデミックな美術教育を受けずに、いきなり現場から入り、デザインの仕事を選んだ私にとって現代美術は、コンプレックスの種であった。幸い最後に勤めていた銀座の広告プロダクションには、第一級の資料が揃っていたし、兄弟会社の写真部には一流の写真家が名を連ねていたから、勉強にはことかかなかった。それでも暫くはコンプレックスが消えなかったように思う。骨董に親しんだとたん、現代美術がすっと身体の中に入ったのは不思議ではあったが、今思えば当然のことかも知れない。美に境界はないのだから。 宮﨑賀世子さんとは仕事で知り合った。それは一回限りの雑誌の仕事ではあったが、箱点前の茶席の待ち合いに作品を飾って戴き、お客さまとしてご登場下さったのがご縁の始まりだ。賀世子さんのご主人は宮﨑豊治さんと云って、現代美術の著名な作家ではあるが、実家は金澤で約350年続く釜師・宮﨑寒雉(みやざきかんち)の家柄の方である。豊治さんの兄が十四代目を継いでいるが、次男の豊治さんは家業に興味を持ちながらも世襲の世界では最初から道を断たれていた。やがて鉄を素材にした彫刻の道を進むのも自然なことであったのだろう。
 賀世子さんは、大阪市内で生まれ育った。新しいモノや美しいモノを好んだ祖父は、孫のために玩具や洋服を嬉々として用意するような人だった。だからというわけではないが、賀世子さんはよく晩酌のお供をしていたという。それは祖父の使っていた九谷の薄手の盃の絵が、お酒を注ぐと大きく見えるのが好きだったからだ。それが早く見たくて賀世子さんが催促するので、祖父からは「せわしないなぁ」とよく云われた。一人っ子だったので、人一倍ませていたのかもしれない。小学3年生の頃には、藁半紙でガリ版刷りの学級新聞を作るような子供だった。後に「REACT(リアクト)」という美術のフリーペーパーを3人の女性で作るようになるが、すでにその萌芽は兆していたのである。父は熊本出身で、子供の時に阿蘇から長崎の原爆投下のキノコ雲を見た。子供心にも大変なことが起きていると思う反面、それがとても美しかったという。エンジニアであった父もまたお洒落な人で、昆虫や野鳥が大好き。69歳で亡くなるまで数寄を通した人生だった。
 そんな中で育った賀世子さんであるがカトリック系の女子校では、体育会系コーラス部に入り、子供の頃にTVで観た越路吹雪の舞台美術に憧れる少女だったそうだ。舞台美術を仕事にするには美術の勉強しかない、と気づいた賀世子さんは当時箕面にあった美術の短大に入るのだが、ここで彫刻家・福岡道雄や村岡三郎に師事することになる(実はこの時に豊治さんとも出逢っている)。この時代が、賀世子さんに大きな影響を与えた。ギャラリーの一隅に福岡道雄さんの彫刻があるが、これは初めて本格的な展覧会を企画した時出品されたもの。そして福岡さんのお嬢さんは陶芸家の福岡彩子さんでもある。この後、先ほど紹介した「リアクト」の取材・編集を、彩子さんと一緒にすることになるのも偶然ではなかったのかもしれない。
 その短大を卒業後進んだ京都芸術短期大学(現在の京都造形芸術大学)の専攻科では、豊治さんを始め、後に重要となる様々な出会いがあった。賀世子さんが当時、どんな作品を作っておられたのかお聞きしてもはっきり答えてくれないが、鉄の溶接を遠慮なくできるので京都芸短大を選んだと仰っていたので、私は勝手にリチャード・セラのような彫刻を想像したのだがどうだろう。今もギャラリータフの主力作家である北尾博史さんとこの時期に出会い、京都の美大生たちとグループ展を開いていたからご存知の方もいるのではないだろうか。
 ある時、作家活動をしていた賀世子さんは思うところがあって、ギャラリーや広告代理店でのアートプロジェクトの仕事を経験することになるのだが、そこにギャラリー立ち上げの仕事が舞い込む。ギャラリータフのタフは「tough」ではない。「The Artist Field」の略で「TAF」。造形大の卒業生を中心に活躍するアーティストの展覧会を企画・開催する場所として、1994年に寺町今出川に開かれた。いよいよ軌道に乗り始めた2年目に入る頃、依頼者側の事情により紆余曲折を経て、賀世子さんが自分のギャラリーとして引き継ぐ事になる。そして約10年が過ぎた頃、建物が家主の都合で人手にわたることになるのだが、ちょうど山科に完成したばかりのアトリエと住居に加え、 隠居してから楽しむつもりで設けていた小さな空間に、ギャラリータフを移転させることになる。
 鉄味という言葉があるくらい、鉄というのはなかなか魅力的な素材だ。『あしやの釜』と『天命の釜』という2冊の本が手元にあるのだが、本当に美しい釜の本だったので私はつい買ってしまった。その本を見ていると釜というモノは、造形のあらゆる美の要素がそこに集約されているような気がする。ギャラリーには象の鼻のようなオブジェが額装されて置いてあるのが気になったが、お聞きすると鬼面の形をした鐶付だという。鐶付とは釜の持ち手(鐶)を通す穴のことで、この造形は一つの見所となっている。聞けば宮﨑家を訪れた時に釜の工房に落ちていたのを、賀世子さんが許可をもらって戴いてきたものらしい。とても素敵な彫刻に見えるから不思議だ。豊治さんの作品も彫刻ではありながら、エッジの線が命なのだとお聞きした。確かに洲浜や依り代に神は降りてくる。豊治さんの彫刻にも同じことが云えるのだろう。そしてそれを誰よりも一番理解しているのが、賀世子さんなのだ。本当は蒐集する側になりたかったと賀世子さんは仰るが、そこに作家として生きる道を止めた理由があるのかもしれない。
 ギャラリータフは小さな空間である。そこに置いてある作品も小品が多い。しかし掌に載るからといって侮ってはいけない。最先端の現代美術の造形と、茶の湯という伝統的な世界の見立てで選び抜かれた作品はなかなか楽しく、美しく、そしてきびしい。本当に良いモノは一見静かな佇まいをしているが、内側から漲るエネルギーに満ち溢れている。ギャラリータフは数寄者に囲まれて育った少女が、迷走しながらも辿り着いたボーダレスな美の世界なのかもしれない。