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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その弐拾四 辻商店(下京区堀川四条下ル)

2019-08-22

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辻商店

京都市下京区堀川通四条下る四条堀川町271
Tel.075-841-0765
11:00~18:00
日曜定休
ホームページ



 京都に引っ越すにあたり、お茶を習いたいと思った。それは表現を生業にする若い人たちに、お茶をやったほうがいいよ、と散々唆していたので、私自身がお茶をやっていないのは如何なものかと思ったからだ。しかし京都に来て9年になるが、未だにお茶を濁している。表向きには膝が悪いので正座が長時間できない(これは事実である)といっているが、実は生来の怠け者で、誠実さがないことがはっきり分かってしまうのが怖いという理由があるからだ。

 ただ京都に住んでいるとお茶を戴く機会が多い。ちょっとお茶を飲んでらっしゃい、といわれてついていくと、お薄が出てくる時がある。近頃は用心しているので、あまり驚かなかくなったが、最初はとても吃驚した。無粋な私はいっそお番茶でも出してくれた方が気が楽なのに、と良く思ったものだ。ちなみに御座布もどんなに勧められても、当てないという習慣もついてしまった。そういう理由もあって、亀の甲のようなナップサックの中に懐紙と扇子を持ち歩くようになったが、京都では、備えあれば憂いなし、なのである。
 最近はこれらと一緒に筆ペンも持ち歩いている。何か思いついた時に、さっとメモするのに懐紙が便利なのだ。以前は大きめの付箋を使っていたが、眼が悪くなってしまい書くのに苦労するようになってしまった。何か紙がないかなと想った時に、たままた懐紙を持っていたので使ってみたらこれがとても具合がよかった。私は風流な人間ではないので、歌を詠んだりすることはないのだが、きっとこんな風に歌を詠む人もいるのだろう。もはや私にとって懐紙は必需品となりつつある。

 辻亜月子さんは懐紙を専門に扱う「辻商店」三代目・辻幸宏さんの奥様であり、専務でもある。ある陶芸家の方の襲名披露パーティで、私の隣に座っておられたのが辻さんであった。和服がとてもお似合いの上品な方であったので恐る恐るお声をお掛けしてみると、懐紙をつくっている会社の方だと分かった。思わず「男物の懐紙入れ、って良いものないですか?」とお聞きしたのが切っ掛けで、今回改めてお話をお聞きすることになったが、かつては懐紙を専門に取り扱うお店はなかった、という辻さんの言葉にちょっと引っかかったからでもあった。

 辻商店は四条堀川を少し下がった西側にある。一目でそれと分かる瀟洒なビルは、昭和3年に初代によって建てられたものだ。これからの京都はモダン建築だ、という初代の意向が建物の隅々にまで取り入れられている。京都のモダン建築として、何度となく本や雑誌でも取り上げられているので、ご存知の方も多いのではないだろうか。
 辻商店は金銀糸原紙や引箔用原紙を取り扱うお店として明治43年に始まった。金銀糸原紙というのは、西陣織の中でも特に高級な金襴緞子の帯に使われる金糸や銀糸の原紙のことで、もとはミツマタや楮が使われている。それを扱う紙屋が辻商店なのである。ところが亜月子さんが辻家に嫁いだ頃は、西陣織の衰退も顕著になり始め、金銀糸原紙の需要が減り始めた時期でもあった。それが1983年、昭和58年のことだ。秋田生まれで、福島育ちの辻さんがなぜか京都の大学に来ることになり、それがまさか結婚して永住することになるとは思ってもいなかったと笑って仰った。

 子育てが一段落して、辻さんがお店のことを手伝い始めるようになるのは、嫁入りしてから20年くらい経った頃だった。主婦業は自分なりにきちんとやっていたつもりだったが、専業主婦は自分にはあまり向いていないと感じていたそうだ。辻家に嫁いだ時にここの仕事を手伝うことができる、と思ったが西陣の衰退の時期と重なりあまり必要とされなかった。自分の居場所ってどこにあるのかとずっと考え続け、何もしないではいられない性格故に、ボランティアを始めいろいろな活動をしていたという。そんな時に煎茶と出合う。煎茶というのはお稽古をしてみて、作法とかいろいろ決まり事はあるが、中心となるところはお茶を美味しく戴くというところにあると辻さんは感じた。それが辻さんの気持ちとぴたりと合った。私はやっぱりお煎茶が好きだなぁ、と思ったという。そしてこの出合いが後々、仕事に繋がってゆくことになる。

 抹茶、煎茶に関わらずお茶の稽古で懐紙は使われるのだが、稽古でしか使わなければ、消費しきれないので溜ることになる。なぜならお茶人のご機嫌伺いなどに、懐紙が贈答品として良く使われるからだ。お稽古の時に、懐紙ってここでしか使っちゃいけないの? 普段から使ってもいいんじゃないの? と辻さんは思い始めてから懐紙を持ち歩くようなる。お茶のお稽古で使っている懐紙入れは、日常では持ち歩きにくいので、何か良いものがないかと探すがなかなか見つからない。だったら懐紙入れを作ったら売れるのではないかと思い至る。だから私の仕事は最初は懐紙入れを作ることから始まったのですよ、という意外な一言をお聞きすることとなる。まず懐紙ありきではなかったのだ。

 その生地を求めて神戸まで買いに行ったり、いろいろ考えているうちに、中に入れる懐紙ももう少し柄のついたものがあってもいいのではないか。常に持ち歩くのだったら、もっと使う楽しみもあってもいいのではないかと思い始めて、懐紙を探したという。でも気に入るものが見つからなかった。その時に、うちは紙屋なんだから、きっと作ることができるんじゃないかと閃く。じゃあ懐紙も作ってしまおうと辻さんは考えた。その時御主人は、まあやってみたら、という反応だったそうだ。ただ自分ところでオリジナルの和紙を漉いてもらうと、ワンロットで何十万枚と紙が出来る。それをどうやって売るかということが一番の問題だと思い、まずネット販売から始めようと2007年の10月に辻商店のサイトを立ち上げた。しかしその当時は、数種類の懐紙と綸子(リンズ)という生地で作った懐紙入れも、その一種類しかないというシンプルなウェブサイト。それに金銀糸原紙を転用して作ったあぶらとり紙もあったのでそれも加えて、自宅のパソコンを使ってできるところから始めたそうだ。

 今では懐紙が会社の売り上げの主力になるまでに成長し、文様がデザインされたものから、透かしの入った洒落たものまで店内には約60種類の懐紙が並んでいる。デザインや事務的なことを一緒にしてくれるスタッフも4人に増えた。もちろん金銀糸原紙も引き続き販売しているが、最近は金銀糸原紙を糸にして、織物として売り出そうと考えている。試作品としていろんなものも作るけれど、表現する人たちに何か製品を作る素材として提供できたらいいなと思う。以前、お話をお聞きした時に男物の懐紙についてお聞きしたが、実はあまり拘らなくて良いのではないかと辻さんは仰った。そもそも懐紙と日常使うちり紙の区別ができたのはそんなに前のことではないらしい。それもあって懐紙の使い途を啓蒙するワークショップも、本社で受け付けている。懐紙でお菓子を乗せるもよし、持ち帰るのに使うもよし、鼻をかむもよし、メモに使うもよし。懐紙は用途に合わせて使えば、大変便利なものだからたくさんの人に使って欲しいと辻さんは願う。

 私の回りにも東北出身の方が何人かいるので、何となく分かるのだが、京都と東北はある意味全てが対極的である。京都に嫁いで30余年。口には出されないけれど、いろいろなご苦労があったことと思う。しかし東北の人特有の粘り強さと、京都のゆったりとした時間の流れが意外に合っていたのかもしれない。常に、これ何かにできるんちゃう?と考えながら、前向きな情熱と上品さを兼ね備えた亜月子さんが頑張っておられる限り、辻商店はきっと安泰なのだろうと思った。