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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その弐拾五 篁(たかむら・東山区花見小路新門前東入)

2018-12-10

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©Nobutada Omote


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©Nobutada Omote


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©Nobutada Omote


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©Terminal81 Film/Naoki MIYASHITA


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©Terminal81 Film/Naoki MIYASHITA


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©Terminal81 Film/Naoki MIYASHITA


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篁(たかむら)

京都市東山区祇園町北側347-108
Tel.075-531-6881
12:00~19:00
火曜定休
ホームページ



 全く違う場所で出会った人と人が、別のところで結びつくということは京都に住んでいるとよくあることである。それを偶然と呼ぶか、必然と思うかはその人の考え方によるのかもしれないが、たぶん出会うべくして出会っているのだろうと私は思う。長岡京市にある高野竹工の西田隼人さんとは、このコラムの第拾伍回でも取り上げた大阪のiTohenで初めて出会った。その時は名刺交換をして、今度、祇園に直営のお店を出されるとお聞きしたのだが、何のお店なのかその時私はよくわかっていなかった。だがとても印象に残ったことがある。それは西田さんの情熱に溢れた話し方と社名に因んだ竹で作られた名刺であった。その後暫くして、別の大阪の知人から誘われて、阪急宝塚線の岡町というところを私は訪ねた。その知人宅では、よくイベントが行われていたが、仕事も趣味も多彩な方たちが集まっていた。その日はダルブッカという楽器の演奏会があり、演奏が終わったあとは皆で名刺を交換したりしながら食事をしていたが、一人の和服のご婦人から「今度、うちの娘が祇園の篁というお店で働き始めたので、京都にお住まいでしたらぜひ覗いてみてください」とご案内して戴いた。ところが迂闊にも私は、そのことをすっかり忘れていたのだった。
 ある日、用事があって祇園北側の花見小路から新門前に曲がったとき、見慣れない看板が眼に入ってきた。あれ、こんなところにお店が。何だろう、と観てみると、細く裂いた竹でデザインされた外観の洒落たお店ができている。改めてもう一度看板を観ると、「篁」と書いてある。あ、っと思った。急いでいたのだが、どうしても気になってお店に入ってみると、竹工芸のお店だった。中にいた女性に声をかけて、事情を話すと「それは私の母です」とおっしゃる。改めて店内を見渡すと、竹の花入れから茶筅、茶托、竹箸に至るまで茶道具を中心に、日常で使える竹の道具類が揃っている。もう少し話をお聞きしてみると、このお店は高野竹工という長岡京にある会社が母体だという。そうだ、あの竹でできた名刺の会社であったと漸く気づくこととなる。あとで考えると看板の文字は書家の華雪さんが書かれたものであり、それもあって西田さんは「篁」の件でiTohenの鰺坂さんと打ち合わせをしていたのだ。
 それ以来、祇園近辺にゆくと「篁」に立ち寄らせて戴くのだが、外国人のお客さまが多く、いつも賑わっている。二人の女性が交代でお店を守っているのだが、一人は最初に私がお店に伺うきっかけを作ってくれた林智子さん。林さんは現代美術の作家であり、海外の展覧会に参加することも度々あるくらい英語が堪能である。もう一人は堀口一子さんという方で、お茶人でもあり、大津で茶の木を育てながら中国茶を中心にいろいろなお茶会をプロデュースしている。この女性たちがお客様をお迎しているのだが、二人のような素晴しいタレントに恵まれた「篁」が繁盛しているのも頷ける話だ。
 「篁」というと小野篁を連想される方も多いと思うが、もともとは竹が群がって生えている所、つまりたけやぶのことを指す言葉である。高野竹工は先代の不窮斎・高野忠男氏によって昭和43年に寺町で創業し、昭和48年に嵯峨野で法人化された。今では社員17人の会社であるが、当時はほんの3人ほどの小さな店であった。先代が興したお店「高野竹工芸店」の名残が、御幸町御池上ルにある「ばんてら」という名前のお店で、90年以上竹細工のお店として続いているが、2017年4月3日、御幸町錦通上ルに移転し新装開店することになった。今では西山と八幡に自社の竹林があり、その他にも大徳寺塔頭の高桐院や大覚寺の竹林も預かっているという。孟宗竹は多いが、お茶道具に使える真竹の竹林は今ではなかなかないそうだ。その高野竹工のアンテナショップとして企画されたのが「篁」である。建築家の森田一弥さんによるシンプルな設計でオープンしたのは2015年10月14日。今や外国の方だけでなく、お茶やインテリアの関係者などからも注目されるお店である。

 西田隼人さんは1976年に熊本に生まれた。高校を卒業した後、日本の大学には行かずに海外を遊学した。アフリカやネパール、はたまた南米と海外を歩きながら自分を見つめる旅をしていた。帰国すると熊本に戻り、まずお茶を始めることになる。3人兄妹の真ん中で、お兄さんも妹さんもお茶をしていた。そういう環境も影響していたのかもしれないが、日本に戻った時真っ先に頭に浮かんだのがお茶だった。お茶の先生は、循環式有機農法農業で有名な谷口巳三郎さんの奥様である谷口恭子さん。谷口ご夫妻の活動は書籍でも紹介されているので、ご存知の方も多いのではないだろうか。人格者のご夫妻に導かれて、お茶の道に入った西田さんではあるが、それがまた今の仕事に繋がって行くから縁とは本当に不思議なものだ。
 そうはいっても日本に戻った限りは何か仕事をしなければ、と西田さんが焦ったのには訳がある。ロンドンの街角でスケッチをしていた時に、ばったり出逢ったのが今の奥様の知寿子さんである。なんと中学時代の同級生だったのだ。知寿子さんはその時、フランスに留学中だったが、それをきっかけに付き合いを深めた二人は、日本に戻ったら結婚したいと考えていたので、先ずは職探しをしなければならなかった。そんな時に知り合いの庭師さんから紹介して戴いたのが、竹の茶道具を作る高野竹工だった。ここで西田さんは竹作りを一から学ぶことになる。竹の見分け方、油抜きの方法、そして出来上がりを想像しながらどの部位をどう取るかなどみっちり仕込まれた。ところが入社して1年経った時に、先代の弟でもあった専務が会社を辞めることになり、西田さんは製造から営業に変わることになる。作る方から売る方へと180度転換、それが2004年のことだ。

 京都府乙訓郡大山崎町にある妙喜庵は臨済宗東福寺派の寺である。そしてこの寺には待庵という千利休の作った日本一古く、狭い茶室があるのだが、高野竹工は先代の住職を含めて30年以上の交流がある。その縁で修復した時に出た古材を譲って戴き、それを使って茶箱を作ることになり、「篁」ができたのと軌を一にして、茶箱プロジェクトというのが本格化する。それは待庵の古材で作った茶箱とクリエイターがコラボレートするという、ある婦人誌の企画であった。陶芸家、金工家、ファッションデザイナーなどが見立てた茶箱を設え、一堂に展示、販売するというものだ。この茶箱展はすでに日本の百貨店で2度行われたが大評判となり、昨年はパリでも開催された。このプロジェクトは2020年まで毎年続く予定だという。

 表現者はわがままである。またわがままでなければ表現に拘ることはできない。クライアントとクリエイターの間で板挟みになりながらの仕事、その苦労は並大抵ではなかったと思う。しかし「道具が人を幸せにする」という信念を持ち続ける西田さんは、一生懸命に熱弁を奮っていた。そんな姿を一番最初にiTohenで見たのだが、今も汗をかきながら竹で作られた道具の魅力を伝えるために全国を飛び回っている。
 一時期私の行く先々で、西田さんの名前が出るので驚いたこともある。この情熱が人を動かしているのは間違いないと思ったが、お話を聞き終えて握手をした時に思い出したことがある。そうだ、西田さんの手はいつも汗ばんでいるのであった。