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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その弐拾六 陶 翫粋(がんすい・上京区堀川天神公園前)

2019-08-22

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陶 翫粋(がんすい)

上京区堀川通寺之内上ル2丁目下天神町653 エクセル堀川1階
Tel.075-366-8719
休廊日/火・水・木(展覧会会期中は無休)
ホームページ


 私のようにほとんどモノは買わないし、文句ばかりいうような面倒なオヤジにも展示会の案内状をくれる人たちがいる。大変ありがたいことではあるが、いつも申し訳なく思う。かつて雑誌『目の眼』で今のモノ造りの作家を取り上げるコーナーがあったので、よく取材に出かけていった。その人たちの多くは著名な作家になり、折りに触れて名前をみかけると嬉しくもある。しかしプラベートではつきあわないようにしてきたのは、やはり作家に情が移るからだ。特にやきものなどは、偶発的な要素もあるので、いつも出来が良いとは限らないし、好みもある。だから本当に良いときは「いいね!」と褒めてあげたいし、良くないときには「あんまし良くない」と言ってあげたい。だからプライベートではつきあわない、という単純な理由だ。
 ある日、京都在住の陶芸家から個展の案内がきた。立派なDMには「翫粋」とある。初めて聞く名前だが新しくできた画廊だろうか、堀川寺之内上ル天神下。茶道会館、本法寺の傍か、と思いながら訪ねたのは約1年前のこと。その後も立派なDMが届き、何回かお邪魔することになるが、その店主のキャラクターと独特なお店の運営の仕方にすっかり私は魅せられてしまった。

 「翫粋」は一法(はしのり)真人さんと小原志津子さんの共同経営のギャラリーである。そして「翫粋」の企画展は「十碗十盃」をコンセプトに、十碗の茶碗をメインで観せるという特殊な展示をしている。一法さんという名前は本名で、枚方(ひらかた)の招提(しょだい)という場所にある、約460年続いている浄土宗の寺が生家である。だから葬式やお盆、また御施餓鬼という浄土宗にとっては大きな法要がある時にはギャラリーにはいない。一法さんの祖父は家元のもとでお花の修業をしていた。その関係もあって良くお茶をしていたという。子どもの頃、祖父のお供で出かけるとお茶を戴くのも普通だったし、家でお教室があるとお正客を務めることもあった。また叔父さんが買ってきてくれたプレーヤーに紙粘土を乗せて回し、轆轤の真似事をするようなこともあったらしい。高校を卒業すると佛教大学にも籍を置いていたが、写真専門学校に行って、花背の藁葺き屋根など今よりもっと状態の良い頃に撮ったりしていた。それも風景写真というよりは、風景の一部分。たとえば土壁の傍に煙突が出ていて、それが煤で黒くなっている様であるとか、自然に朽ちて美しくなっているところに魅せられたという。住んでる方からしたら少し醜いと思う所でも、僕から観たら時代を経てて美しい。そういうものとか叢にほっぽらかしなっていたブルトーザーが意外に優しくて、土に還っていたりするところを写すのが好きだった」という。
 そんな一法さんが初めてやきものを買ったのは二十の頃。備前の陶器祭で買った飯碗だそうだ。「カメラを下げて備前の陶器祭を歩いていたら、眼にはいった茶碗があった。何が良かったかというと飯碗やから 重ね焼きで、灰がたくさんかかるところに飯碗が入っていたんですね。その景色が良かった。それを2つ買うてきて使うてたんやけど、ある時、足のじん帯を痛めて、少し家に隠る時期がありました。その時に僕の傍にいた人が長いことお茶をしていたので、その飯碗でお茶を点てたのが始まりです。食器棚の奥に入っていますが、今見ても悪いもんじゃないと思いますよ。そういう意味でそのお茶碗というのが僕の一つの原点ですね。足の怪我が恢復するとまたギャラリーを回り始めますが、3年くらいはただ観ていました。20代後半くらいかな、買い始めたのは」。

 小原さんは、もともとは信楽の陶器屋に嫁いだ。ご主人がそこの三代目だった。意外なことに、やきものにはそれまで全く興味が無かったという。大学を出てから京都の信用金庫で秘書をしていて、それでも30歳前に一回は嫁に行っておかないといけないと、当時、おつきあいをしていたご主人と結婚することになる。小原さんは銀行に勤めていたので、嫁ぎ先では帳面も付けられるし、重宝がられた。ところがそれだけではもの足りなくて、高校生の頃から仏語とコンピュータのプログラミングが趣味だった小原さんは、それを活かそうと、その頃始まっていたコンピュータ通信で、店のギャラリーのウェブサイトを立ち上げた。序でに信楽の紹介も楽しくてやっていたが、ほとんど報われないと感じていた。「田舎って奥さんが牛馬のごとく仕事して、ご主人は遊んでるっていうのが多かったんやけど、それはそれでもかまへん。認めてもらえるなら。でも主人はそれを認めようとはしなかったんです。じゃあ、同じ苦労するんやったらここではないところでします」と、なんと家を出てしまったのだ。
 何をしようかなと思っていた時に、長岡京のある陶器店が店長を捜している。信楽と伊賀焼の専門の店だから、これを分かる人が欲しいという話が舞い込む。それが今から17、8年前の話だ。伊賀、信楽だけでは好みが渋過ぎてお客さんの幅が狭くなるし、ほとんど知られていない場所で、どうすればいいのかと小原さんは考えた。まず自分の武器でもあるウェブサイトを立ち上げた。海外の人にもアピールができるし、マーケットを広げる意味でも、これは生かせると。言語やコンピュータが得意な小原さんであったが、ところが写真が上手く撮れない。そこにお客として来ていた一法さんが、手伝い始めたのが二人が出会ったきっかけだという。それが定年退職でお店を辞める2、3年前くらいのことだ。小原さんは大学時代から現代美術が好きで、画廊回りをよくしていた。それもあって、やきものも視覚的、直感的に作品を選ぶ。そしてそれは結構、外国人受けする。それで海外の顧客が掴めるところがあったという。

 2、3年前に「玄武と朱雀」というとてもマニアックなやきもののブログを、facebook上で見かけることがあった。あまりのマニアックさに驚いたものだったが、これも小原さんの仕業だった。「私がとにかくウェブサイトが好きなので、一法さんの話を聞けば聞くほど面白いから、ブログにしたいとって言って始めたのが『玄武と朱雀』です。日本の二十四節気に合わせて、この時にこのお茶碗どうや、このお茶碗にこの御菓子を組み合わせたらどうや、という提案をしたり、その折々の歌や、文化的なことであったり、そういうことを付け足しながらブログを書いて行こうやないかと。それが1年ちょっと続きましたが、彼と私の持ってるところが全然違うから、楽しく遊べました」と小原さん。そしてご両親も亡くなって、何もせずのんびり過ごそうと思っていた小原さんに、一法さんが「ギャラリーやろやないか」と声をかけたのも自然なことだったのかもしれない。

 2時間半くらいお話を聞いたが、こんなにも書けないことが多い取材も珍しい。それはお二人の話が専門的であり、また深過ぎて、言葉にしようと思うがとてもこのコラムでは収まりきれないからだ。一法さんのお茶とやきものへの愛情と知識は半端ではないし、小原さんの語学力とコンピュータに精通しながらも独特な美意識を持ち合わせた、この二人のコンビはなかなかに手強い。一見、美女と野獣という風に見えるが、一法さんは少年のようなナイーブさと清らかさを持ち合わせ、小原さんは華麗な風貌に似合わぬ芯の強さ、太さが垣間見える。やきもの好きなら、この二人のハーモニーをぜひ味わいに行ってもらいたいと思う。間違いなくどっぷりと嵌るか、全く合わないかのどちらかであるから。