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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その弐拾七 孫右ヱ門  (城陽市富野荘)

2017-12-27

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孫右ヱ門

〒610-0118 城陽市主水南垣内20-1
Tel.0774-52-3232
小売は以下のウェブサイトよりお願いします
ホームページ


 百貨店や東京でもお店を出す名店をはじめ、京都の街にはお茶を扱うお店が数多ある。常の暮らしの中で飲むお番茶や焙じ茶から、お客さまをお迎えした時にお出しするお煎茶やお抹茶まで、いろいろな場面でお茶が供されるが、住んでいる人たちにもそれぞれ贔屓のお店があり、好みの味もある。
 「京都迷店案内」の第拾九回で取り上げさせて戴いた「ギャラリーYDS」の稿で、京都の陶芸家と主人との交わりを書いたのだが、そこで毎年行われるその陶芸家の展示会では必ず何かイベントが行われている。それも一つの愉しみとなっているのだが、3年くらい前だったであろうか、作家の器を使って食事会が行われた。ご存知の方も多いと思うのだが、「ギャラリーYDS」では台湾茶や中国茶などのお茶に関するワークショップがよく行われていて、いつも美しい女性たちで賑わっている。その食事会も男性は3人ほどであとはみな女性だった。それにも関わらず、私の席は一番端で、しかも隣は男性。そりゃないでしょう!と思いながらも仕方なく席に着いたのだが、それは隣に座った男性も同じ思いだったに違いない。黙々と料理を戴くだけでは能もないので、隣の男性とポツリポツリと話を始めた。するとその方は城陽でお茶を作っているという。それが寛政から続く宇治茶の「孫右ヱ門」六代目・太田博文さんとの出会いであった。
 その時に戴いた太田さんの名刺を懐に入れたまま、一週間が経った次の週末、私は宇治にいた。これも「京都迷店案内」の第弐拾壱回で取り上げさせて戴いた「ナナクモ」で、油を売っていたのだが、そこに「孫右ヱ門」の太田さんと西野真実さんが飛び込みで営業にきたから、腰が抜けそうになった。ちょうどその少し前に、先週出会った城陽のお茶農家の話をしていたからだ。「ほんず、ってお抹茶知ってる?」「孫右ヱ門、ってお茶農家さん知ってる?」と散々私が知ったかぶりをしていた処に、ご本人が登場したのだから、私の狼狽ぶりはお分かりだと思う。ちなみに後にも先にも、飛び込みで営業をしたのはこの時一度きりだというから、この再会は笑うしかなかった。
 その後、お東さんの傍にある「井筒安」という料理旅館で開かれた「茶かぶき」というイベントでは、煎茶や玉露を飲み較べをしてお茶の種類を当てるという利き茶を体験させてもらったり、何度か太田さんと接する機会も増えた。太田さんが220年も続く、お茶農家の主人だということをいつも忘れてしまい与太話で終わってしまうのだが、ある時よくよく考えると太田さんについて、何となく美味しいお茶を作っている農家の大将としか思っていなかった自分に気がつく。ちょうど新茶の採り入れの季節で、これは一度取材に行かなければと思い立ち、訪ねることにしたのだった。

 城陽と云えば、近鉄で京都から約40分、近鉄富野荘駅まで西野さんに迎えにきて戴き、茶畑に直行した。5月の終わりは新茶の手摘みの最終時期に当たり、この日も40人くらいの摘み子さんたちが朝から作業に勤しんでいたが、ベテランの摘み子さんになると茶摘みの終盤には1日に約30~40Kgを摘むという。一見簡単そうに見えるが、やってみるとなかなか難しい。折り摘みというそうだ。すでに収穫も終わった隣の茶畑は、機械で丸刈りにされていて可愛らしくもあった。
 それから、太田さんの自宅に隣接した製茶工場へ向かった。ここでは摘んだばかりの茶葉が酸化しないうちに、蒸し機に入れられ、乾燥炉へ向かう。蒸したことでくっついた茶葉を剥がすために、風力で茶葉が舞っている景色はなかなか楽しい。その後、茎と葉に選別され、碾茶(てんちゃ)にする前の茶葉が出来上がる。この工場の温度管理から、機械の回転速度までを太田さんが一人で管理している。またその塩梅も全て、太田さんの勘で行っているというからとても驚いた。さらに最高級の茶葉や全国品評会に出品するものになると奥様のさおりさんと何人かの女性たちで、ピンセットを使って不純物を丁寧に取り除く。味も色も純度を上げるための作業だというから、まさに職人の仕事である。

 太田さんは1972(昭和47)年生まれの45歳。父親からも祖父からも一度も茶畑を継げといわれたことはなかったが、16歳くらいの時に祖母さんが亡くなって、近所のおっちゃんと茶畑を歩いている時に、「継ぐんか?」と聞かれて、少年だった太田さんは「分かりません」と返事すると、「勿体ないな、これ」といわれた。その当時は太田さんも、その価値も分かっていなかったから、「そうですか」と答えけれど、それがずっと心に引っかかっていたという。そして大学を滑った時に、「もう跡を継ごう」と決心する。そして1年間研究所で農業の勉強をして、6代目を継ぐことになる。「それはそれでいいかなと。ただ、継いだ限りは自分のできる限りのことはしたいと思いました。先ず経理を見直したり、父親が作っていた商品の品質をどこまで上げることができるか、などをずっと突き詰めてきて、今に至るという感じです」と太田さんは語ってくれた。
 「孫右ヱ門」は茶農家であり、ずっと茶問屋に卸していたので、ネットで小売を始めたのはつい最近のことである。お父さんの時代は玉露が主力だったという。それを「ほんず製法」のお抹茶にフォーカスした時から、太田さんは小売を意識していたのではないかと私には思えた。一人でも多くの人に、この美味しいお茶を届けたいと。お茶にはテアニンという物質が含まれている。このテニアンこそがお茶の旨味を出すアミノ酸であるが、日光が当たるとカテキンに変わって渋みに変わってしまう。そこで先人たちは「ほんず」という葦簀(よしず)を掛けた上に藁を敷いて、光を覆い、ゆっくり成長させる製法で碾茶を作ることを考え出した。そして「ほんず」で作られたお抹茶は、まさに旨味が凝縮されたお出汁のような味がするのである。
 最近はネットを通じて海外のコーヒーショップからの引き合いも多く、カナダ・ドイツ・アメリカ・フランスからオーナーが見学に来るという。海外の人は本当にニッチな方が多く、どうしてこういう味が出るのかというような質問や、味もシングル・オリジン(単一品種)を欲しいと求めてくる。市場に出回っているのは、ほとんどがブレンドされたものなので、孫右ヱ門にきて例えば「やぶきた」を飲まれて、単品でもこれだけの味がするのだと驚くらしい。

 これからのことを聞くと、「なんでお茶作りがしんどいかというと、今植えて3年後にしか採れない。たとえいいもんができたとしても売れるかどうか、3年後にはもう分からない時代です。やはり長い間、孫右ヱ門が続いている中で何を学んだかといえば、その時売れるものを作ってきたということです。確かに売れるものに執着することも大切なんですが、執着しすぎる結局損をするんですね。だから売れるもののニーズが100年単位でどう変わるか分かりませんが、近年そのスパンが短くなってきていて、舵をどう取ってゆくか、という問題が常に頭の片隅にあります。数年後は利益率の高い高品質な機械摘みのお茶が市場の主力になっていると思いますが、うちは利益率は低いけれど高品質な手摘みのお茶だけを扱うようになるかもしれない。ただそれで暮らして行けるなら、その方がいいと私は思っています。でも跡を継ぐ息子がもっとアホみたいに儲けたいとなったら、それはそれでいい。成功した大手のお茶屋さんが何年か前に同じように試行錯誤してきて、今があるんやろうし、うちも何でも勉強やろなと思います」と経営者らしい答えが返ってきた。
 なぜ私が「京都迷店案内」で「孫右ヱ門」のような江戸時代から続く茶農家を取り上げたかというと、小売に関してはまだ歩き始めたばかりの幼子のように見えたからだ。美人の奥様とママ友であった西野さんが広報の役を担っているのも、「ほんず」の美味しさとこのご夫婦に魅せられたからだという。機会があればぜひ「ほんず」抹茶を味わってほしいと思うのだが、それはただ単に美味しいというだけでなく、今までのお抹茶に対するイメージが間違いなく一変するに違いない。そしてそれは16歳の時に、わけも分からず茶畑を見つめていた少年の汗と涙の結晶が、その旨味を作っているのではないかと私は思うからだ。