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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内その参拾壱  翡翠(北区堀川北大路)

2019-08-22

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翡翠

〒602-8326 京都市北区紫野西御所田町41-2
電話075-491-1021
営業時間/9~23時(月~土)、9~21時(日)
(※店主体調不良により営業時間が変わる場合があります
定休日/無休(12月31日のみ休み)


 知らない町に行くとまず探すのが喫茶店である。約束の時間より早めに出かけて、珈琲を飲みながらその日の打ち合わせの準備をしたりするのだが、たまに郊外の町(特に関東の)に行くとスナックしか見当たらないところがあり、仕方なく駅前のチェーン店などで時間を潰すことになる。 京都に住んでいて恵まれていると思うのは、自然に囲まれているので町歩きが楽しいことと、その後に飲む珈琲が美味いことである。これだけ喫茶店と古本屋が多い町は他にはたぶん見当らないと思うが、それでも老舗と新しい店とチェーン店が併存できているのは、それだけ需要が多いからであろうか。私は近所の行きつけのお店にモーニングセットを食べに行くし、原稿を書こうと思えば「タリーズ」に行く。席に空きがないときはホテルのカフェという風に渡り歩くことになるのだが、美味い珈琲が飲みたくなると、その場所に合わせてお目当ての喫茶店に出かけて行く。
 三条河原町に行くと「六曜社地下」、四条烏丸あたりなら「イノダコーヒ」の四条地下店、五条東山なら「カフェ ヴィオロン」、バスを途中下車して時々立ち寄る今出川大宮の「逃現郷」、そして西洞院五条の「ワンダラーズスタンド」ができたのも最近の嬉しい出来事だった。たぶん人の数だけ贔屓の喫茶店があり、皆私のように使い分けをしているのではないかと思う。

 堀川北大路をやや東に入った北側に喫茶「翡翠」はある。偶然通りがかった時に、とても初めて来たとは思えない懐かしさを感じたのは私だけではないだろう。1993~1996年にかけて制作された映画「私立探偵濱マイク」シリーズは林海象が監督し、2002年にはTVドラマ化されたが、永瀬正敏演じる主人公がよく入り浸っていたのが喫茶「マツモト」である。そのモデルとなったのが、「松本コーヒー」であり、規模も店の内装も全く違うのであるが「翡翠」に同じ匂いを嗅ぎ付けてしまった。以来この辺りに行くと、私は「翡翠」を目指すことになる。
 「翡翠」は昭和36年に創業しているから、今年56年目を迎える。京都の恐ろしいところは街場の喫茶店でも、50年を超えて続いているお店があることだ。たまたま入ったお店で、何年くらいやっているのかと尋ねると、父親からの2代で70年くらいになると聞いたことが二度ほどあった。
 今はなくなってしまったが、看板に「純喫茶 翡翠」とあったのも懐かしい。今や全国的に見ても「純喫茶」の冠の付いた喫茶店は少ないのではないだろうか。若い方たちにはピンと来ないかもしれないが、明治末期にできた「カフェ」は知識人たちの社交場であった。やがて大正時代には大衆化し、女給さんたちの接客を主な目的としたお店も増えていった。NHKの朝ドラでもあったがこのようなお店では、夜は主に酒類を出し、隣に座る接客係の女性らに客がチップを払っていた。これらのお店は昭和初期には隆盛を極めるようになるが、「カフェ」や「喫茶店」と呼ばれていた。そこで酒やホステスを提供する店を「特殊喫茶店」と呼び、酒類を扱わない本来の意味の喫茶店を「純喫茶」と呼び区別するようになったという。
 「翡翠」の外観はお城を模したようなオフホワイトの建物に水色・青・赤の三本の線が引いてあり、遠目からも目を惹く。吸い寄せられるように店内に入ると、昭和にタイムスリップしたような趣がある。しかも今時珍しく全席で煙草が吸えるので、心なしか店内も煙っているように見える。20代の頃、上野の映画館に入ると、スクリーンが煙草の煙で霞んでいたことをふと思い出した。煙草を吸わない人には厳しいかもしれないが、愛煙家には有り難いお店であろう。
 中に入って珈琲を注文し、改めて内装を見るとあちこちにアールデコの名残りが見える。照明もデコ風のものが多い。阪神淡路大震災によって阪神地区の住宅でアールデコ様式の家具がたくさん失われたが、日本人はアールデコでも比較的シンプルなものを好んだ。京都でもたまに見かけることがあるが、「翡翠」の内装もそれを思わせる。そうかと思えば、懐かしのテレビゲームのテーブルもあってそのコントラストに不思議な感じもするが、コミックや新聞も充実していて、喫煙もできるとなれば常連が多いのも頷ける話だ。メニューは定食類も充実し、朝はもちろんモーニングもある。となると長居をしたくなるのが、私の悪い癖だ。気がつくと3時間くらいはあっという間に過ぎている。二階はかつては社交ダンス場だったそうで、お店ができた当時はどれだけ格好よかったのかと思うのだが、近所にこんな喫茶店があったら間違いなく入り浸っていたことだろう。

 京都の人は「常(つね)」という言葉を良くつかうが、それだけ日々の暮らしを大切にしている。かつて民俗学者の柳田国雄は「常民」という言葉をよく使った。同じように民藝の柳宗悦も「平凡」という言葉を使い、「非凡」であることよりも「平凡」であることの難しさ、大切さを説いた。どうしても人間は非日常やハレの舞台に憧れるが、「いま」を懸命に生きることを京都の人たちは大切にしている。だからこその祭があり、「晴れ(ハレ)」と「褻(ケ)」のメリハリがあるのだと私は思う。
 濱マイクは非日常のスターであるが、「翡翠」に来るとその辺りのテーブルに坐っていそうな雰囲気がある。探偵事務所は映画館の二階にあったが、映画館の切符の捥ぎりをしていたのは井川遥であり、冴えない役どころであったが却って目立っていた。そして件の喫茶店の主人は、松田美由紀であった。「翡翠」には松田のような女主人はいないが(取材に伺った時は店主は体調を崩されて不在であった)、笑顔の素敵な女性たちが気持ちよく迎えてくれるのも嬉しい。珈琲はもちろん美味いが、名物のオムライスも期待を裏切らないボリュームと味だ。お客さんは常連の近所のおじさん・おばさん、ライダーの人たち、ビジネスマンからもちろん学生とおぼしき若者まで老若男女が垣根を超えて集まる様子は京都の縮図を見るようであるが、たまに聞こえてくる常の会話はとても興味深い。私のような者にとって、「翡翠」はいろいろな意味でオアシスなのである。