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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内其の参拾三 いとへんuniverse(三条川端)

2019-08-22

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いとへんuniverse

〒606-8385 京都市左京区孫橋町31-12
訪問をご希望の場合はメールにてご連絡ください(随時受付中)
また毎月第2土曜日13:00~19:00にスタジオを一般公開します。
詳しくは以下のウェブサイトをご覧ください。
info@itohen-univers.com
itohen-univers.com

※但し、2018年2月はDESIGN WEEK KYOTOに参加のため
2/18(日)、2/24(土)、2/25(日)のOPENとなります。

 友人でもある文筆家の白須美紀さんは京都市内で生まれたが、結婚して今は宇治の住人である。となると京女とは呼びにくいし、本人も自分は京女ではないという。一般的には京都で生まれて三代、百年経たないと京女ではないらしい。しかも生まれ育った場所がまた問題となると京女の定義は、井上章一さんにお聞きするしかないのであろうか。
 白須さんとはある雑誌の仕事で出会って以来、何かと仕事を手伝って戴いている。特に一昨年、故朝日焼十五世・松林豊斎さんの本を作った際には、白須さんの力なくしては形にすることができなかった。その白須さんがある時から、「西陣絣」とか「いとへんuniverse」とかよく呟くようになった。しかもクラウドファンディングを使って、工房を立ち上げ、何か始めたらしい。
 どうやら風前の灯火の「西陣絣」を何とかしたいと、持ち前の熱血姐さんの心に火がついたようだ。私は仕事の折々にその話を聞いてはいたが、火の粉が降りかかるのを恐れて聞き流していたのだった。


 日本民藝館に行く1つの楽しみはミュージアムショップの隣にある、着尺の部屋を観ることである。芭蕉布、八重山上布や宮古上布を使った絣、久留米絣、弓浜絣など美しい織の数々は私を幸せな気持ちにしてくれる。どうして織りでこんな絣の文様を表現できるのか、いつも不思議に思う。糸をチューブや綿糸、紙で縛って防染し、染め分けた経絣(たてがすり)という経糸や、緯絣(よこがすり)という緯糸で織るという理屈は分かっていても、出来上がりの絣れ具合までイメージして織り上げるのは、なんてクリエイティブなことだろうと。それも平織という一番シンプルな方法で織るのだから。それにしても「西陣織」はよく聞くが、「西陣絣」とは聞き慣れない名前だ。そこで「いとへんuniverse」を訪ねて、恐る恐る「西陣絣」について聞いてみることにした。


 「いとへんuniverse」は会社ではない。メンバーは皆、本業を持っている。代表を務める大江史郎さんは、絣屋の次男として生まれた。父親は絣の現代の名工ににも選ばれていたが、本人はバンドマンを経て、京都でグラフィックデザインの仕事をしていたという。そこを辞めて実家の仕事を手伝っている時に、今、勤めている会社の社長に声をかけられて織屋を始めた。今は本社に統合されてその会社はないが、その7年の間にいろいろな経験を積ませてもらった。
 「とりあえず一人でやってみようと思い、茨木にいる友だちの建築模型の工房を借りて、機を2台入れ、休みの日にこれまで織れなかった部類のモノを作り始めたんです。これからの時代に、着尺と帯だけでやっていくのは難しいだろうなという思いが先ずあったので、それらを伝統工芸展に出品したりしながら、ちょこちょこモノ作りをしてました。それをSNSなどで発信していたら、結構反応があったんですね。それをくださいとか、こういうモノを作ってほしいというので、それに応えていましたが、デザイン事務所にいたり音楽をやっていた経験もあったので、何か織物以外のサービスが提供できないかと考えていました。それが後でイベントの企画や冊子の発行などに繋がっていくのですが、それをやるためにはチームで、ちゃんとやっていかないとダメだろうなと。しかもそれぞれが独立してやって行ける人たちと組んで、ということを考え始めた時に、白須さんが取材に訪ねて来たのです」と大江さんは話してくれた。白須さんは何か書く当てがあった訳ではないが、数奇な出会いが重なって大江さんに辿り着いた。それが「いとへんuniverse」を作るきっかけになったというから本当に縁とは不思議なものだ。


 絣加工師の葛西郁子さんは、青森の弘前出身である。京都芸大で織りの勉強をしていたが、今振り返ると作品は全部絣だったという。風景画みたいな魚が泳いでいる文様だったり、絣で何とか具象化しようとオリジナルのテクニックで作品を作っていた。卒業後、京都芸大の非常勤講師をやりながら、自分で織物を作っていた。その頃、大江さんが一人では手が足りずに、葛西さんの知り合いの織り手さんに仕事を依頼していたが、産休で葛西さんが代わりに手伝うことになった。ここでまず絣の織り手同志の出会いがある。
 「芸大でも染めと織りをする人は全然タイプが違っていて、織りは一つ一つ積み重ねて行って最後に形になります。今後にどう繋がっていくか、長いドラマを組み立てながら布を織りますが、染めは一発勝負なんです。気合いがいりますし、大変な仕事です。織物って布になるまでたくさんの工程があるのですが、人によっては糸を染める瞬間が好きで、自分の色を出したいという人もいます。私は織るのも好きなんですけれど、途中のややこしい準備工程が大好きで、それはたぶん糸そのものが好きだからなんですね。糸だけで表現ができ、その重なりが本当に美しいのです。学生の時から絣が好きで、美術館に行ったり本で全国各地の絣を見ましたが、西陣の絣って美術書のどこにも載ってない。そんな時私の師匠の工房に見学に行き、昔の「西陣絣」の裂を見せて戴き衝撃を受けました。こんなに美しい絣があったのかと。民藝系でもないし、美術系でもないし、西陣という産業の中で商品として出回っていたから、美術品としては捉えられていなかったけれど、ここにこんな世界があったのかと感動し、即行で師匠に弟子入りしました」と葛西さんは話してくれた。


 ある時、大江さんは知り合いの人たちに声をかけて長野県岡谷にある製糸工場に見学に行くことした。もちろんその中に葛西さんや白須さんもいた。その道中、話しをしながら車を運転していた大江さんはふと閃いたという。この2人と組んで何か始めたら面白いことができるのではないかと。それは2014年の夏の終わりのことだったが、そのあと3人で「いとへんuniverse」を立ち上げるべく決起集会をおこない、翌年の3月に初めてのワークショップを企画した。その年の秋に職人の交流会をおこない、組合以外で若手が集まる場というのが無かったので大盛況であったという。その中にクラウドファンディングで新しいインテリアの事業を興した知人もいた。そこでクラウドファンディングというシステムを知り、2015年秋にそれを使って遂に工房を立ち上げることになる。大江さんは最初は手仕事ということに拘っていたが、葛西さん、白須さんと出会ったことで「西陣絣」にフォーカスして行ったという。
 西陣絣加工業組合という組織はあるが、今、葛西さんを含め全員で7人しかいない。残りの6人は全て70歳以上である。「いとへんuniverse」の目標は「西陣絣」の着尺や帯以外の作品を創り、広めることである。しかし絣の作り手が少なくなった今、葛西さんに本業の仕事が集中してしまい、「いとへんuniverse」の活動ができにくくなってしまっている。本来なら弟子の育成や後継者のことを考えなければならないのであるが、目の前の仕事をクリアすることで精一杯の状況だ。しかしあと10年もすると、絣加工師は葛西さん1人になってしまうかもしれない。これは大問題である。


 白須さんのお父さんは丹後出身で、伯母さんや従姉妹が機織りをやっていた。両親も組紐屋で働いており、子供の頃から絹糸のある暮らしの中で育って来たという。この記憶が白須さんを「いとへんuniverse」の活動に駆り立てているのかもしれない。現在、2人の染めと織りの作家も「いとへんuniverse」に加わり5人体制となった。この宇治の熱血姐さんと熱い仲間たちのチームワークが立ち塞がる問題を乗り越えて、「西陣絣」の救世主となってくれたら素敵だなと私は思った。