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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内其の参拾六 日日・冬夏(丸太町河原町)

2019-02-08

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日日・冬夏(にちにち・とうか)

〒602-0875 京都市上京区信富町298
電話075-254-7533
営業時間/10時~18時 定休日/火曜日
www.nichinichi.com


 私が京都に来るようになるきっかけは、「京町家友の会」という市民団体に参加したのが始まりであった。この「京町家友の会」というのは、京都の歳時や暮らしぶりを体験することができるのだが、町家から茶室、料亭、モダン建築など普段なかなか入ることができない京都の建築物を見学できるのも大きな魅力の一つでもある。入会したのはかれこれ17、8年前くらいのことだろうか。知人が京都で楽しそうにしているのを見て私も入会し、いそいそと新幹線で通い始めていたのだった。最近はご案内を戴くばかりで、会費を納めるだけの幽霊会員なのであるが、知らない間に会長が「小西美術工藝社」の社長デーヴィッド・アトキンソンさんに変わっていたのだった(本誌連載中「不思議の国のアトキンソン」)。
 この稿の第九回で取り上げさせて戴いた「菅藤造園」の菅藤さんから、ある時、お庭を手がけた新しいギャラリーがオープンしたので一緒に観にいかないかとお誘いを受けた。それが丸太町河原町を上がったところにある「日日」との出遇いであった。もともとは料理屋さんだったという建物は町家というよりは二階建ての大型の木造建築で、築百年になるという。町家は次々と取り壊され、マンションや駐車場に変わっていく中で、まだこういう日本家屋が遺っているのを見るとそれだけで嬉しくなるのは私だけではないだろう。

「日日」はドイツ人のエルマー・ヴァンマイヤーさんによって、20年ほど前に京都で開かれた工芸のギャラリーである。その後、東京の富ヶ谷に移るが、この頃にエルマーさんは後の伴侶となる奥村文絵さんと知り合うことになる。エルマーさんはもはや伝説の人なので説明は省くが、知り合って間もなく年齢をお聞きして、私より一つ歳下であることが分かりショックを受けた。最近はこういうことがよくあるので嫌になるが、エルマーさんは京都大学で哲学を学び、母国ドイツでクラッシック・ホメオパシーの資格を取得した本物の施術者でもあるから、私のような不良品とはそもそも人間としての品が違うのだから仕方がない。
 現在の「日日」は奥村さんが中心となり運営されている。エルマーさんはホメオパシーの仕事が忙しくなり、ギャラリーを閉じてもよいかなと考えていたそうだ。ところが食の仕事をしていた奥村さんが、ギャラリーを続けることにこだわったというから面白いと私は想った。京都で「日日」を再開するにあたって、奥村さんはいくつか考えていたことがあった。器とは何かを入れたり、盛ったりするものであるから食とは切っては切り離せないものである。それは奥村さんの前職で培った食の知識と経験を、如何にして器と結びつけるかということでもあった。そして食の世界も、職人の世界もいろいろな点で似ていることが多いと気づいたという。

 奥村さんは中高と女子校で学び、大学時代は早稲田で演劇漬けの日々を過ごした。そのまま俳優になる道も考えたが、あることがきっかけで断念しデザイン関係の会社に就職した。もともと俳優を目指すくらいであるから、激しい魂の持ち主であることは間違いない。その魂を捧げる場所を探していたのであろう。プロのデザイナーたちと仕事をしていく中で、自分は一体何をしたいのだろうか。何ができるのだろうかと考えた時に、ふと浮かんだのが食のことであった。
 学生時代は芝居漬けの日々の中でも料理学校に通い、公演の前には30人分のお弁当を作っていたりしたという。「本番の前日とかは気が立って殺伐としているんですが、そんな状況の中では食べものってみんなを繋ぐきっかけになるんです。それがとても嬉しかった。食をコーディネートする仕事なんてできたら面白いかなと思いついたのです」と奥村さんは仰る。これが食に関わるきっかけであり、ちょうどフードコーディネーターという職種が生まれた頃だった。それ以後、企業や行政との関わりの中で、食に関する仕事を続けていた時にエルマーさんと出会うことになる。

 「日日」の玄関を開けて中に入ると、やや高めの上り框があり、左手には御煎茶とカカオを味わうことのできる「冬夏」というティールームがある。美しい木目のカウンターと大きな窓越しに小さな前庭が見える気持ちのいい空間だ。ここでその季節に合ったオーガニックの御煎茶が戴ける。奥村さんはここでお茶を飲みながら、器にも興味を持って貰えると嬉しいという。汲み出し、急須、湯冷ましなど御煎茶に関わる道具はいろいろあり、それもまたお茶を戴く愉しみの一つでもあるからだ。「冬夏」で出てくる湯呑みや茶道具は今の作家の手仕事であるが、とても感じのいい麦藁手や唐津ものを使っておられた。
 行かれた方はご存知だと想うが、「日日」は手仕事のギャラリーであり、そこで取り上げる作家や職人は日本人だけでなく海外の方も多い。ドイツ人の万年筆作家や天然石の指輪をつくる作家、ドイツ在住の韓国陶芸作家など他のギャラリーにはない顔ぶれが揃っている。「今、私が考えているテーマは作家、職人、工芸、プロダクト、デザインというカテゴリーを超えて手仕事というのはどこまで残っていくのだろうか。そしてギャラリーというのは本当に必要なのか、ということです」と奥村さんは仰った。奥村さんが実際にこの仕事に関わってみると作家が全部一人でマーケットを考えて、材料を調達し製作している。そんな状況の中で、自分の仕事を継がせたくないという作り手が若手の中にも何人かいるという。どうしてかと尋ねると、生活の中での肉体的な問題と精神的な問題や、収入と生活など、いろいろなバランスを現代ではなかなか取りにくいということがある。例えば歳を取って、素晴らしい技術がありながら掃除のアルバイトしながらでないと生活できないという現実がある一方で、同じ作家ばかりで展示会をやっているギャラリーが多いのはなぜなんだろうと奥村さんは考える。また最近では作家が自分で作品も売り始めていて、間にギャラリーが介在する意味とは何なんだろうと想う。何人かの作家が自分でモノを売るということに成功すると、みんな自分で作品を売り始める。すると目先の商売に時間を割かれるようになっていき、本当に次のビジョンを見据えたモノ作りが出来なくなる。それは自分で自分の首を絞めているのではないかと奥村さんは憂慮する。飲食の業界にデザインビジネスを取り込んだ経験を元にして、今、奥村さんは欧米の様々なジャンルのギャラリーを訪ねながらギャラリーと作家、作り手と使い手、日本と手仕事のこれからの関係を模索している。そして「プロのギャラリストとは何なのか?」と自身に問いかける。また「ギャラリーの役割とはなんだろう?」、そう作家にも問いかける。フードディレクター時代のお百姓さんとの出会いが奥村さんの魂に灯を灯したが、今は手仕事の作り手との出会いに未来を賭けている。もちろんモノも好きなのだが、奥村さんはやっぱり人が好きなのだ。

 一階の奥が「日日」の展示スペースである。縁なしの畳がより一層広さを感じさせ、件の植木屋さんが手がけた庭が東側にある。もともとこの庭にあったという松と数種類の苔と新しく植えられた椿が見事なバランスで石とともにレイアウトされている。もちろん建物も美味しいお茶も迎えてくださるお店の方々の笑顔も素晴らしいのであるが、この庭を見るのが愉しみで私は「日日」を訪ねていったといっても過言ではない。ティールームの「冬夏」は「冬夏青青」から名付けられているという。「信念が固く、どんなときも変わらない」という意味で、中国戦国時代中期の『荘子』にある「命を地に受くるもの、ただ松柏のみ独り冬夏に有りて青青たり」という言葉が語源とされている。つまり「日日」の玄関と中庭にある二本の松こそが、「冬夏青青」なのである。そしてそれこそが奥村文絵という人、そのものではないかと私は想うのだ。