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京都は古くて新しい街。変わっていないようで、常に変わり続けている。
古いものがあたりまえのようにあり、新しいものがつぎつぎにできている。
そんな京都の魅力にはまった人たちを、同じく京男になったデザイナー上野昌人さんがレポート。

京都迷店案内其の参拾七 Art space 寄す処(五条天使突抜下ル)

2019-02-08

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Art space 寄す処(よすが)

〒600-8456 京都市下京区東中筋通五条下ル天使突抜3丁目454
電話080-9606-6697(沼沢さん携帯電話)
air-yosuga.jp


 京都に来る理由はその人の数ほどあるのだと想うが、東日本大震災以降にいろいろな事情で上洛された方も結構おられるのではないだろうか。もう4年前ほどであったろうか。福島で警察官をしていた沼沢忠吉さんという方が、京都で「寄す処(よすが)」というアーチスト・イン・レジデンスを始めたという京都新聞の記事に目が留まった。その記事の写真には2時間ドラマであったなら警察官というよりは、どちらかというと犯人として登場しそうな強面だが、人懐こい笑顔の印象的な人が写っていた。私はこの人に会ってみたいと想った。警察官を辞めてアーチスト・イン・レジデンスを開いた人とはどんな人なのか、興味津々であったからである。程なくしてその機会が訪れるのだが、この写真のイメージは今でも私の中に焼き付いて遺っている。

 映画好きの方ならよくご存知だろうが、濱口竜介監督が酒井耕さんという方と3・11を記録に残すべく撮られたのが『なみのおと』『なみのこえ』『うたうひと』という東北3部作と呼ばれるドキュメンタリー映画だ。映画のプロデューサーが私の知人であり、この3部作が「寄す処」でも架けられることになった。そこで私はここぞとばかり沼沢さんに会いに行くことになる。
 映画は素晴らしいドキュメンタリーであったが、その時沼沢さんとは初対面であったし、映画を見るのが目的であったからほとんど話をすることもなかった。それがきっかけで「寄す処」のイベントに何回か足を運ぶようになり、他の場所でも顔を合わせる機会も増えた。それでも私が2時間ドラマ好きとはいえ、やはり元警察官と話をするのは緊張するものだと想った記憶がある。

 沼沢さんは1963年3月に福島で生まれ、いわき市に実家はある。父方の家系は龍神伝説のある沼澤村のご出身で、会津藩の家臣だった。高校卒業後は旧日本国有鉄道、いわゆる国鉄(今のJRの前身)に入り、国鉄が民営化する時に転職を決意し警察官になる道を選んだが、組合がないのがその決め手だったという。「私はもともと自己評価が低い人間で、国鉄に勤めていた頃は自分の価値を見出せず何となくだらだらと生きていた感じでした。それが警察官に転職して思う存分仕事ができる、漸く自分の能力を発揮できる場所を見つけた気がしました」と沼沢さん。最初に配属されたのは水戸警察署で、それから26年間茨城県警に務め、パートナーの間瀬有希子さんとは最後の勤務地で出会った。
 その天職とでもいうべき警察官の仕事を辞めて、京都に来るきっかけになった直接の理由は東日本大震災だったが、もう少しデリケートな事情もあったようだ。「40歳前後から、事件関係者との関わりの中で警察官ができるのはここまでという限界を感じていました。警察の仕事って例えば犯人を検挙することとか、被害者の涙を止めることはできてもそこから笑顔にするのは仕事ではないという、不満ではないけれど、自分の中でもうちょっとそこに踏み込んでみたいという想いがありました。もう一回自分の人生を見直してみようかなという節目が、50歳だったんです。最初の頃は被害者とか犯罪者、刑務所から帰って来た人たちを支援するNPOをやろうかな、と漠然と考えていたんです。そんな時に東日本大震災があって、身内が何人か犠牲になったり、休みの度に遺体の捜索に行ったり、ボランティア活動をしたりしてました。
 瓦礫の中の光景って本当にモノトーンの世界なんですね。色があるはずなのに色が見えないという、そんな状況の中で幼稚園くらいの女の子が真っ赤なゴムボールを拾って来て遊んでいる。それを見た瞬間に避難所にいる大人たちが次々に笑顔になっていくのを見た時に、色彩美ってとてつもない力を持っているんだなと想いました。もともと油絵を描いていたので、アートってエネルギーを持っていて、それが皆に感動を与えるんだなってつくづく想いました。最初は単純にギャラリーがいいかなと想いましたが、滞在しながら製作ができてそこで発表できたらもっといいなと勉強しはじめたら、アーチスト・イン・レジデンスというスタイルがあて嵌ったので、これをやろうと決めました。大震災があった時は本当に気が滅入ってましたし、自分自身の力不足、警察官として何もできない自分というものに打ちのめされ、夢も希望も何も湧いて来ない。いっそ古民家でも買って百姓でもしながら田舎暮らしをして、お金が足りなかったらコンビニでバイトして、のんびり暮らしたいなぁなんて考えたりもしてました。警察官はとても自分には向いていたんですけれど、徐々に誰かのために何かをしたいという欲求がとても強くなってきて。そんな想いがあってこの場所で、この店を始めたんです」と話してくれた。

 でもなぜ京都だったのだろうか。「それがまた不思議でしようがないんですよ。スピリチュアル的な見方でしか答えられないのですが、私は個人的には浄土真宗を信仰しています。ちょうどお西さん(西本願寺)とお東さん(東本願寺)を上がった、しかも町名が天使突抜という処に縁があって今お店をさせてもらってますが、本当に呼ばれたという感じがします。東北にボランティアで行く以外はリサーチを兼ねて、月に1回は必ず休みもらって京都に来ていましたが最初は親鸞さんに会いに行こう、くらいの気持ちで来てたんです。親鸞さんの足跡を何度か辿るうちにCMではないのですが、そうだ京都行こう、となったのかなぁ」と沼沢さん。
 2018年9月に「寄す処」は5周年を迎えた。「寄す処」は、「よすが」と読ませているが、字としては「よすか」と読むのが正しいそうだ。縁という字の語源になった言葉で、拠り所とか、寄る辺とかいう意味合いである。「寄す処」のロゴマークの猫はアーティストを、燕は幸せを運んで来る渡り鳥なので、また幸せを運んで帰って来て欲しいという願いを込めて表現したのだという。
 以前昼間は喫茶もやっていたが、今は夜のバータイムだけで、あとは折に触れていろいろなイベントが行われている。映画の上映会やサルサを踊る会、怪談も盛り上がったそうでいつも人で賑わっている。間瀬さんのヒーリーングの会も人気だ。とはいえあくまでも本業はアーチスト・イン・レジデンスなので、アート関係の方々にはぜひとも宿泊をおススメしたい。もちろんリサーチだけでもOKだそうだ。ヨーロッパではライターもアーチストなので、ライターの方もぜひと仰ってくださるので私も一度試してみたいと想う。1~3月は閑散期なので比較的予約は取りやすいそうだ。

 以前、マリンバ奏者の通崎睦美さんが『天使突抜一丁目~着物と自転車と』という本を淡交社から出されて、天使突抜(てんしつきぬけ)という町名が話題になった時があった。この場合の天使とは、豊臣秀吉のことなので本来なら天子を当てるところなのだろうが、天子南面という言葉も京都にはあり(なぜ右京区が左側にあり、左京区が右側にあるのかという質問の答えにもなるのだが)、天子はあくまでも天皇に使う言葉なので天使にしたと聞いている。京都市内には突抜という名前がついている地名が結構あるが、御土居を造り街の区割りを変えた際に、神社やお寺の境内を南北に突き抜けるところが出て来たからだという。京都の人はそんな秀吉を揶揄するために敢えてこんな名前をつけたという説もあり、さもありなんとも想う。京都の地名の由来は本当に面白い。
 沼沢さんの厳つい外見とシャイな内面のギャップが私にはとても好もしく、知り合ってしまうととても信頼できる方ではないかと私は感じた。天使突抜という名前だからという訳ではないけれど、沼沢さんには天使が描かれたスタジャンがよく似合いそうな気がするのだがどうだろうか。