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野辺の民藝

田中 孝(摘み・活け・撮り・語る)





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(17)お歯黒壺



 ぼくが幼稚園の頃だ。何と80余年も昔の話である。近所の友人の家を訪ね、ガラリと玄関を開けると、白粉を塗りたくった女が立っている。その女、「坊や、お入り」と真っ黒な歯をむき出してニタリと笑う。黒光りした歯……。
 化けものだ。すっ飛んで逃げ帰った。
 息を切らせながら母に話すと、「その人、遊女だよ。黒い歯はお歯黒といって、黒く染めただけです」と、教えてくれた。
 再びお歯黒という言葉を聞いたのは、ほぼ40年後、北九州市の民藝の大先達の書斎でのことだ。机上に見慣れぬ双耳壺が4つ5つ並んでいる。お歯黒の染液を入れておく壺だそうだ。越前古陶を求めて、福井県の武生で探してきたのだという。せがんで分けてもらったのが、左の写真の壺である。
 ご覧のとおり手捻りだ。持ち帰るとカミサンに笑われた。下手な造りだね。きっと爺さまが昔馴染みの女に捻ってやったのだよ、と。でも、ぼくはシロウト細工にしては上出来すぎると思う。口造りや耳が形を為している。多分陶芸に巧みな数寄者が手作りしたにちがいない。姿からみて江戸末の作だろう。
 お歯黒壺で骨董として通るのは、室町の作だ。口造りは力強いし、肩から下にいくほど細く締まって、格好いい。小なりといえども、数寄屋風の床にでも置いて野花を活けると映える。
tanaka17-07-03.jpg 残念なのは、ぼくが若いころ江戸の春画の勉強をしてこなかったことである。勉強を重ねていれば、お歯黒とその道具類に詳しくなって、読者の皆さんを、あの爺さん学があるなあ、と感嘆させただろうに。92歳では遅すぎた。せめて花をと、清楚なヤブミョウガにしてみた。(福岡市在住)


編集部注:お歯黒は江戸時代から明治にかけて女性が施した化粧のひとつ。鉄に酢や酒などを混ぜて発酵させた鉄漿水(かね)と、ヌルデの木の虫瘤を粉にした五倍子粉(ふしのこ)を交互に塗って歯を黒く染めた。中国より伝えられ、平安時代には宮中で流行し、室町に入ると一般にも広まった。江戸時代には結婚するとお歯黒を施し、子供を産むと眉を剃るのが習わしとなった。お歯黒に眉のない顔が色気を感じさせるとして、一般人のほか、遊女や芸者もお歯黒をしたという。しかし明治を迎え、外国人にはお歯黒の風習が奇異に映ったことから、明治6年にお歯黒と眉剃りが禁止された。お歯黒壺は越前陶が丈夫だったことから多く用いられた。
写真右下は田中さんの庭に群生するヤブミョウガ。里山の湿気のある林間に多く、8月になると白い花を咲かせる。群生する性質があり、庭に植えると増えすぎて困るほど。咲き始めると高さ1mほどになり、リング状の花を三重四重と咲かせる。