野辺の民藝
田中 孝(摘み・活け・撮り・語る)
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床 田島充(花入春日竹油注 軸 弘法大師行状絵巻残欠) 写真 郡司孝郎
注油孔 これに合うおとしを作れば、花は自在にとまる。
手前は上節から出た枝を曲げて持ち手とした。無法庵所持
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(11)究極の民藝
ぼくが初めて春日大社竹油注の花生を知ったのは、30年ほど前、秦秀雄の「野花を生ける」という本からである。
これは節の間隔30cmほどの竹筒に油を入れ、灯明に注油する器である。写真によると、上の節から出た枝を下の節に結び、持ち手としている。使うほどに、油が浸み、暗褐色を呈して、渋み十分。用に則した簡素な形態美と相俟って、素敵な花生だと三嘆した。
説明には奈良の粋人が茶花に使い、瀨津伊之助の愛用品を松永耳庵が譲り受けたと書いてある。
となると、奈良茶で高名な河瀬無窮亭が見逃すはずがない。だとすると、氏と親交の厚かった田中無法庵も愛蔵していて当然だ。図星だった。無法庵の茶花の本には、ちゃんとこの花生が登場しているのである。
実は、ぼくは無法庵とは20年に及ぶつきあいがある。しかも、ぼくは彼の本から野の花の活け方をずいぶん勉強させてもらっている。が、彼に花の活け方を尋ねたことはない。花は、野で採った時の美しさを吾が家で再現するのだから、すべては自己の感性に頼るほかはないわけだ。彼の本はぼくの感性を磨く教科書なのである。
ぼくも歳をとった。これが奈良へのお別れの旅かと思った折に、特に無法庵に春日大社油注の拝見を乞うた。
手に取ってしげして見ると、花を活けた写真では写らない注油孔があらわになる。何と、花留に好都合な形ではないか。見事な花生。まさに究極の民芸と、しばし感嘆した。
(福岡市在住)
編集部注
瀨津伊之助:東京日本橋に店を構えた日本有数の古美術商。瀬津雅陶堂初代。
松永耳庵:財界人、政治家。本名松永安左エ門。東邦電力など電気や鉄道事業にかかわり「電力王」「電力の鬼」と言われた。第2次世界大戦後には、国内の電力を9電力会社に再編した。近代茶道に熱心で、益田鈍翁(益田孝)、野崎幻庵(野崎廣太)らと並ぶ小田原三茶人と呼ばれた。
河瀬無窮亭:奈良茶の数寄者。本名河瀬虎三郎。刀のコレクターとしても著名で、奈良の茶会に招かれて京都の茶とは違う奈良茶の魅力に引き込まれた。
田中無法庵:奈良の古美術商。古い器に野に咲く花を入れ客人をもてなした。
寸法などが書かれた無法庵所持の文書