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皆さま この器ご存じですか

田中 孝(摘み・活け・撮り・語る)


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note : 古い文献では、この花器を古帖佐の代表扱いにした例もある。しかし、これがお庭焼とは思えない。小野元立が開窯した元立院であろう。昔は竜門司以外で、帖佐、加治木近傍の焼物を総称して古帖佐と呼んだのかもしれない。

(23)古帖佐? 元立院であろう


 鹿児島市磯庭園の山上からは、桜島がカルデラの錦江湾ごしに、目の前に迫ってくる。湾も奥まると幅が狭いのだ。冬季など、真っ赤な夕日を浴びると、島全体が燃え上がる。感動の一刻である。やがて幽冥の闇に包まれて、消えていく。
 この磯庭園は島津の殿様の別邸だった。ここには日本初の孟宗竹の竹林がある。殿様がわざわざ輸入したのである。そのせいもあってか、鹿児島は竹の利用が盛んだった。

 ぼくの社会人振り出しは鹿児島である。新入社員は早速使い走りに出される。「タケノハシに行って来い」。
 はてな……?、きっと竹製の橋だ。着いてみると、何だ、立派な石橋じゃないか。帰ると、先輩が大笑いして諭す。「尚武の土地柄だぞ。武之橋だ」。
 わずか2年の勤務だったが、楽しい思い出が尽きない鹿児島である。

 ぼくが中年に達して、古民芸に興味を持ち始めた時、最初のターゲットに薩摩を置いた。何しろ竹の利用が盛んな土地である。竹を模した陶器の花立ては多いと思った。が、それが無いのである。民芸店で古帖佐(こちょうさ)と呼んでいる漆黒釉の花生けぐらいである。

tanaka15-0601.jpg 島津の殿様は、秀吉の朝鮮出兵から帰国すると、居を帖佐に定めた。そして、お気に入りの朝鮮陶工の金海に、茶陶の制作に励ませている。この茶陶こそ古帖佐である。
 ぼくは、写真の花生けを古帖佐と教えられて求めたが、どうやら元立院と呼ぶのが正しいらしい。この窯も1663年から80年余りしか焼いていないから、残存作品は多くないに違いない。
 花は遅咲きの白菖蒲で花器とのコントラストを狙ってみた。(福岡市在住)