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野辺の民藝

田中 孝(摘み・活け・撮り・語る)


tanaka2016-01-2.jpg弓野焼鉢






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(1)ぼくの原点は民藝だ


 今回から、タイトルを「野辺の民藝」にさせていただく。ぼくが「目の眼」誌に登場したとき、編集さんから戴いたタイトルは、「野辺の骨董」であった。
 ところで、ぼくが骨董に入門したのは民藝からである。91歳に達しようとするいま、「野辺の民藝」をテーマにすることは、いわば原点復帰、初心に帰る次第なのだ。
 その民藝の真髄をぼくに伝授してくれたのは、駒場にある日本民芸館だった。東京に出張するたび、日参するほど通ったものだ。
 日本人が乗れる博多ー東京間の直通列車ができたのは、戦後7〜8年目のことである。たった一本きりだ。超々満員なのである。床に新聞紙を敷いて座り込んだ人はマシな方である。洗面所、トイレまで立ちん坊で一杯になる。SLは石炭と水を積む駅での停車が長い。一目散に駅の洗面台やトイレに走る。だが、長っ尻は禁物だ。発車予告のベルで飛び出さないと大変なことになる。
 こんな風に、万事不便な時代だから、東京出張は要件も多いし期間も長い。一つ用件が済んで次まで待ち時間が潤沢にあると、僕はいそいそと日本民芸館に急ぐのだった。
 ここで、ぼくは縄文から古窯、李朝などの魅力を存分に叩き込まれた。因みに、民芸館の展示品は、一部のジャンルを除けば、一流骨董店が喜んで扱う名品の範疇である。
 民藝とは何だろう。一言でいえば、民衆の工芸である。一方我々の先祖は農耕民族なのだ。民藝と野辺の花は似合わないわけが無いと、僕は確信している。(福岡市在住)


tanaka16-01-1.jpg左上の写真は、佐賀県藤津郡弓野の産である。開窯は寛永年間といわれている。ほとんどの製品に雄潭な松絵が描かれているから、民藝仲間では肥前松絵と称して人気が高い。
 写真の壺は異色の文様で、口径も約21センチと小ぶりなので愛用している。
 一方、左の壺は、弓野とうり二つだが、福岡県南の三池郡二川の産。この土地に良土があったので、弓野に教えを請うた窯である。
 この地方の平野には櫨(ハゼ)の木が多く、これらの壺は和蝋燭を作る際に用いられたという。洋ローソクが輸入されると、これに押されて廃窯してしまった。(写真は戦後のイミテーションの窯であることをお断りしておく)