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野辺の民藝

田中 孝(摘み・活け・撮り・語る)





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note
花は利休梅と桃。
利休梅は明治になって中国から輸入された花木で、
利休の生きていた頃は存在していなかった。
梅と同じバラ科で花が梅に似ていて、
利休好みということでこの名がついたという。
よく出かけた里山の廃別荘の庭に桃と一緒に植えられていたが、
今ではずいぶん野生化しています。

(4)北鮮の壺


 写真の壺は北鮮系の窯で生まれたと思われる。李朝雑器には間違いない。農家の塩壺にでも使っていたのかしら。腰を巡る横線がころよいアクセントを与えてくれる。
 こういう素朴な壺だから、野の花を快く受け容れるのが、何よりである。玄関の下駄箱の上にでも置くと、生活にうるおいをもたらしてくれる。鍋島や砧青磁では、こうはいかない。民芸ならではの醍醐味である。
 この壺は、大分以前のことだが、由布院の親しくしていた民芸店で求めた。ずいぶん安かったことは、よく覚えている。
 この民芸店主の先祖は山岳民だったのか、彼は山仕事をする人々の道具を掘り出してくる達人であった。山仕事の人の砥石入れや、腰に下げる木の物入れなど、今も花生けに愛用するものが多い。
 民芸に対する彼の眼は確かだった。彼は、自分の趣味で九州の山岳民の伎楽面、土俗面などを蒐集していたが、そのコレクションの一部が九州国立博物館に収まったという記事を新聞で見て、やっぱり、と思ったものである。
 彼は実直な人柄だったから、仲良くつきあっていた。あるとき、「あ〜くたびれた!」と洩らすと、彼はすっと奥に立ってゆき、一升瓶を持って来て、「さあ飲んでごらん。元気が出るよ」と、湯呑みになみなみと注いでくれる。瓶の中には蝮(まむし)が一匹。蛇嫌いのぼくは、すっ飛んで逃げた。
tanaka16-03-001.jpg 彼は故あって由布院を去り、杳として消息不明である。いま頃、誘う人もいない九州山脈のど真ん中で、夜桜の下、篝火でも焚いて蝮酒をあおっているのではあるまいか。健勝を祈る。(福岡市在住)