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野辺の民藝

田中 孝(摘み・活け・撮り・語る)





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上)花はミソハギ、ききょうなど、晩夏〜初秋を飾る花々
下)小鹿田の化粧がけ。外側は上下が「飛鉋」。中が「櫛描」。
内側は上が「飛鉋」で下が「刷毛目」。

(18)小鹿田窯初見参



 戦後まもなく社会に出たぼくは、当時最先端をゆく公団のアパートに当選した。
 近郊に散策に適した山々がある。気晴らしに土曜ごとに出かけた。その姿を見ていた一階下の奧さんがカミサンに言う。「私の里は小鹿田(おんた)という窯場で、山の中です。行ってみませんか。ご主人もきっと喜ばれますよ」と。
 小鹿田は大分県の日田(ひた)からバスで一時間。山あいの谷川沿いだ。窯のご主人に挨拶すると、「まあ上がれ」。お茶の代わりにビールが出る。カミサンがぼくの分まで空けて、事なきを得た。ぼくは全くの下戸なのだ。
 早速、制作工程を見せてもらう。18世紀初頭の開窯以来の手法が守られているのには驚いた。動力は、水力と人力のみ。釉薬も天然産だけ。装飾技法の飛鉋(とびかんな)など、中国の宋代に栄え、絶滅したのが、兄弟窯の小石原と小鹿田にだけ残っている。英国のバーナード・リーチが、その習得に小鹿田に滞在したのは有名な話である。
 三百年昔の技法を守り通したのは、今では小鹿田の貴重な財産である。伝統工芸の大切さ、民芸のよさが見直されてきた現代では、需要に対して生産量があまりに少ない。だから民芸店主は窯開きを待ち構えているらしい。
 ぼくたちは家族で一泊させてもらったのだ。お礼も兼ねて窯変のある花瓶などを求めて持ち帰った。後日譚が窯元出身の奥方に届く。「あの亭主の物の選び方を見ると、きっと骨董に走るぞ。それに酒が一滴も飲めない。あれは女専門だな」。骨董は見事に大当たり。女専門は残念、外れだ。誰だ!「嘘つけ」といったのは。
 小鹿田は、今年の九州北部豪雨で大災害を受けたそうだ。毎秋恒例の民陶祭も無理ときく。一日も早い復興を願う次第である。(福岡市在住)

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らっきょう壺という大壺。デンとして力強く打掛が豪快。
高さは約55センチ

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日田名物「うるか(鮎の塩辛)」容器。
蓋を含めて高さ約7センチの小壷ですが、飛鉋の装飾が美しい。