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野辺の民藝

田中 孝(摘み・活け・撮り・語る)



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(20)小鹿田の将来を占う




 小鹿田は変わらない、と民芸愛好家はいう。では、小鹿田は新しいことに無関心で、旧習を守り続けるのか。そんなことはない。
 左上の写真を御覧下さい。ぼくたちは、これを水注と呼ぶ。が、小鹿田ではピッチャーという。この形姿からしてバーナード・リーチの影響が読みとれる。いいものは遠慮なく取り込んでいく気概は十分存在しているのだ。
 その下の写真はコーヒーカップである。大きい。300mlも入る。一合(180ml)に飼い慣らされ、200mlを標準とする吾々の常識を越えている。姿も洋風だ。やはり、リーチの影響が見てとれる。
 これからの小鹿田はどうなるだろうか。ぼくは相当な変化が起こりはしないかと思っている。高等教育が普及していくからである。
 小鹿田窯の継承は一子相伝、長男が継ぐ。弟妹は都会で働かなければならない。彼らは相応の職を希望して大学に進学するだろう。長男も、俺だって……、と進学を親にせがむのは当然である。
 たとえば、その彼が頑張って東京藝術大学の工芸科にでも入学したとする。ここで教えられるのは、陶技だけではない。陶技による芸術の創造が教育の主眼となるのは当たり前のことである。
 大学周辺の環境も素敵だ。東京国立博物館、東京都美術館、国立科学博物館、国立西洋美術館、上野の森美術館、東京文化会館等々が大学を囲んでいる。学内にある東京藝術大学大学美術館は吾々一般人さえ誘い込む魅力ある存在だ。
 生涯で最も多感なときを、こんな世界に4年間浸って暮らせば、彼の審美感だけでなく、人生観も革命的な衝撃を受けるに違いない。
 こんな窯主が数人揃えば、小鹿田窯の将来は、過去の延長線上に存在し得るとは思えないのである。(福岡市在住)



写真上)小鹿田の水さし。
窯の人はピッチャーと呼んでいた。
大きさはさまざまだが、
これは25CMほどあり、バラなど洋花を生けるのによい。
小さいのはコーヒーなどのミルク注しまである。
1960年代中頃の黒木力氏作。下も同じ。

中)コーヒーカップ。高さが11CMほどあり、
ちょっと大きすぎる。小鹿田ではこの釉薬を
伊羅保と呼んでいた。たしかにざらついた釉であるが、
朝鮮の伊羅保茶碗とはずいぶん違う。

下)小鹿田の共同窯。
8袋からなる大型の登窯は堂々たる風貌。
窯焚きは3軒が共同で行う。火口焚き3時間、
各袋ごとにほぼ3時間ずつ焚くそうである。
燃料はこの地に多い日田杉を製材所から購入する