栃木県益子町。田畑や林が広がるのどかな農村風景の中、陶芸家の工房が点在する関東を代表するやきものの町です。濱田庄司が昭和5年に登り窯を築いて以来、民藝運動の拠点としても知られるようになり、現在も作家の感性を生かした温かなやきものが生まれています。東日本大震災では多くの窯元が被害を受けたましたが、復活へ官民共同で取り組んでおり、伝統の陶器市に加えて、斬新なイベントも企画されています。自然と共存し、新しいモノを作る益子のホットな情報を、いけだえみさんがレポートします。
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益子だより04
「繋げていくもの」
2019-08-22
古いものに大事に手を入れながら、次の世代に渡していく。
これはかつては当たり前のように行われていたものですが、今となっては貴重な事のようになっています。
現在、3.11の東日本大震災で大きなダメージを受けた益子参考館では、修復工事やさまざまな手入れがされています。
この夏に着手されたのが、4号館、通称上ん台と呼ばれる建物の屋根の葺き替え作業。上ん台は1850年頃の茅葺屋根の農家建築の建物で、元は地元名士の住居を濱田庄司によって1942年に移築されました。生前の濱田が一番気に入っていた建物であり、たくさんの客人をもてなしていた空間です。今は展示室兼喫茶室となっていて、濱田が集めたさまざまな国のコレクションを眺めながらお茶を頂くことができます。
茅葺屋根の葺き替えとなると、今やその職人さんも少なくなり、職人の高齢化や跡継ぎの問題なども抱えていて、今後ますます貴重なものとなっていくのではないでしょうか。暑い暑い照りつける太陽の下、もう70から80歳くらいになる職人さんたちの屋根の上での大変な作業を間近に見ることができました。一つ一つが手作業であり、使われる素材も自然のものということが、今の時代にどれだけありがたいことかと痛感したものです。
続いて始まったのが文化財である登り窯の修復作業。こちらは陶芸家であり、築窯師でもある原康弘さんが黙々と作業にあたっていました。崩れ落ちた窯の煉瓦の中でも、まだ形がきれいな煉瓦、細かく割れてしまった煉瓦をもそれぞれに分けて再利用しながら直していくそうです。「ここ見てください、ほらこうやって割れた煉瓦なんかが混ざってたりするんですよ」
原さんは登り窯の崩れた断面を指して、かつて割れた煉瓦が再利用されていたことを説明してくれました。また、形がきれいに残った煉瓦を大事そうに抱えながら、
「この煉瓦の色なんか綺麗でしょ。焼き物は一度しか窯で焼かれないけど、煉瓦は何度も焼かれてるからこんな色や艶が出るんです」と教えてくれました。
ガスや電気窯などがない時代には、登り窯は大事に修復を繰り返しながら使われ、陶器を焼くのとともに煉瓦も一緒に焼いておいて、壊れた時の修復のために備えていたとのこと。粘土を濾す際に出る砂なども、原土に混ぜて隙間を埋めるのに利用したりと、かつての手仕事や生活ではそこにあるものを使い、その中で循環し、無駄なもの、ゴミになるものはほとんど出ないものでした。
「そういう昔ながらの手仕事、技術を学ぶことができたから、少しでも今に繋いでいけたらいい」
今の時代に大きな需要はないけれど、決して失くしてはいけない技術や手仕事はまだまだたくさんあるのだと思います。そしてそれを引き継ぐ人々の言葉や一心に作業する姿は私たちが忘れかけていることを気付かせてくれるようです。(いけだ えみ)。